2010年7月31日土曜日

沖縄の帰属問題

沖縄の帰属問題

 古枯の木の学生時代、沖縄から留学生として来ていたK氏がいた。大変頭のいい人で刑事訴訟法を勉強して後にO大学の教授になった。当時の沖縄はアメリカ軍の占領下にあったが、あるとき彼が驚くべきことを告白した。沖縄人の多くは沖縄が中国に帰属しようが日本に帰属しようがどちらでも構わないということだった。これは晴天の霹靂でありまったくたまげた。
 日本人のほぼ全員は沖縄は当然日本の領土の一部と考えているようだが、沖縄人の間では反日感情は当時けっこう強かったというのだ。沖縄は薩摩藩に租税を収めていたが、同時に中国には朝貢して中国を宗主国と看做す人が多かった。明治政府の沖縄蔑視の態度、太平洋戦争末期の沖縄戦のときの日本陸軍の卑劣な行動(沖縄島民を日本兵防護のための盾とした)からして日本によからぬ感情が強かったという。とくにこの悪感情は敗戦の日が近づくと強くなったと聞いた・
 現在の沖縄島民の対日感情は知らぬ。だがここで注意しなければならないことがある。戦争の口実はいつの時代でも戦争を行わんとする国に都合のよいように作られてきた。ある日、中国が沖縄島民の解放のためと称して沖縄に侵略を始めるかもしれない。すると沖縄島民の一部の者たちが中国軍を解放軍として迎え入れる可能性なきにしもあらずである。

古枯の木―2010年7月28日記す。

2010年7月27日火曜日

無用の長物

無用の長物

 戦時中密かに世界の三大無用の長物は、エジプトのピラミッド、中国の万里の長城、それに日本海軍の戦艦大和であるといわれた。さいきんテレビなどで”おもてなし”の文化などが騒がれている。だが日本的なおもてなしなど必要だろうか。古枯の木はこれは無用の長物だと考えている。
 アメリカでは他社を訪問したとき秘書は必ず客に対してさきにコーヒーをだしてくれる。レストランに入ればウエイトレスは必ず女性の方から注文をとる。子供を同伴すれば必ずハイチェアーが必要かと訊いてくれる。これくらいのことは教育をうけずとも全員が当然自然に行うわけだ。アメリカにも社員教育はあるが、こんな社員教育はしたことはないしされたこともない。
 ところが日本ではどうか。障子一本を開け閉めすのに跪いて行わねばならぬ。お茶一杯出すのにもいろいろ面倒な所作が必要だ。日本のこのような行儀作法は古枯の木には無用の長物である。ときには慇懃無礼に思われるし、余りにも非生産的である。日本の一流会社の幹部の中には行儀作法こそが社員教育の一番重要な部分であると考えている時代遅れの輩が多数いる。おもてなしの文化は絶対に西欧世界で根ずくことはない。
古枯の木-2010年7月26日記す。

2010年7月24日土曜日

一枚舌から四枚舌へ

一枚舌から四枚舌へ

  伊藤忠元会長の丹羽宇一郎が新中国大使に任命された。彼は商社人であり、外交の知識が無いため、外務省の親中派公使3人が彼に従って中国に赴任するそうである。“親中派”に問題がある。このことを台湾出身の陳さんに話したとき、陳さんは“親中派は極めて危険である。せめて知中派の公使を派遣すべきだ“と教えてくれた。
 陳さんによれば日本人は正直、実直、律儀で、相手を簡単に信用しやすく一枚舌の持ち主だそうだ。欧米人は2枚舌をもっている。自分にとって不利だと判断するとすぐに手のひらを返す。これは歴史が実証している。アラブ人は三枚舌の持ち主で、うそをついてでも、他人を陥れても自分に有利なようにことを運ぼうとする。このアラブ人よりもっとたちの悪いのが陳さんによれば4枚舌の中国人である。
 陳さんは丹羽宇一郎が中国政府によって丸め込まれてしまうことを憂慮している。がそれよりも前に親中派の日本公使によって丹羽が完全にコントロールされてしまうことを最も心配している。この心配が杞憂に終わるよう祈っている。

古枯の木―2010年7月23日記す。

野球に思う

野球に思う

 最近10年ぶりにアナハイムのエンゼルス球場を訪問した。1967年1月に渡米してから最初の数年間はよくボールゲーム(アメリカでは野球の試合をボールゲームと呼ぶ)を見にドジャーズ球場に行った。その頃日本人選手が大リーグでプレイするなどは夢のまた夢だったが今日では多くの日本人選手がアメリカで活躍している。これを日本人として大変誇りに感じる。見に行った試合はエンゼルス対マリナーズの試合でエンゼルスには松井秀樹が、マリナーズにはイチローが所属していることは周知の通りである。では松井やイチローたちはいったい日米の野球の差をどのように考えているだろうか。
 アメリカ人と日本人の間には野球に対して大きな考え方の違いがある。アメリカ人は野球はスポーツの一種であり、他のスポーツ例えばフットボール、テニス、バスケットボールなどと同等の位置に置く。ところが日本人はスポーツの中で野球が万能、すべてであると考えている。野球にあらずんばスポーツにあらずという風土さえある。高校時代、野球部員には特別の配慮が学校当局からなされた。また甲子園の高校野球のラジオ放送ではアナウンサーは野球選手を神仏のごとく扱いあらん限りの美辞麗句を彼らに奉呈した。これに対する反感からか古枯の木は日本の野球特に高校野球は大嫌いだった。
 だがアメリカに来てアメリカの野球が大好きになった。日本の球場とは比較にならぬぐらいの清潔な球場、広告無しの外野のフェンス、金網のフェンス無しでまじかに見られる選手、職業意識に徹した選手の態度、それに無邪気に観戦する観衆の喜び。
 アメリカ人はよくアメリカで一番人気のあるスポーツはアメリカン・フットボールと野球だという。そうだろう。古枯の木からではアメリカ人はこれら二つのスポーツに特権的な地位を与えているかと訊くといつも答えは“ノー”だった。スポーツはすべて平等に扱われているという。
 日本でま最近サッカーが人気のあるスポーツになり、ある面では野球の地位を脅かしていると聞く。これは非常に喜ばしいことであり、野球の牙城を脅かすかもしれない。日本では野球以外にもっといろいろなスポーツが行われることを願っている。

古枯の木―2010年7月16日記す。

2010年7月14日水曜日

民主党の大敗に思う

民主党の大敗に思う

 2010年7月11日の参院選で民主党が改選議席を44に減らす大敗を喫した。マスコミはこぞって菅首相が掲げた消費税率の引き上げがその敗因だったと騒いでいる。だがそうだろうか。日本の財政は公共事業を無計画に推進した古賀誠を初めとする自民党議員と役人によりめちゃくちゃにされてしまった。彼らは公共事業を票田のために利用したのだ。日本は現在、世界最高の国債依存率であり、財政は危機的状況にあり、破綻したギリシャの状態よりもひどいとされている。このような状況下、菅首相が言ったことは当然のことであり、その必要性は自民党、民主党、マスコミ、国民も皆知ってたはずである。むかし、“金持ちは米を食え、貧乏人は麦を食え”と言ってマスコミの一斉攻撃を受けた総理がいたが、彼も当然のことを言ったにすぎぬ。
 では民主党の敗因はなんであったか。民主党はその政権公約の中で、できもせぬことを明日にでも実現できるかのごとく説いて世の善男漸女を欺いてきたのだ。ここに至って彼らは騙されたことを知覚し、昨年9月の衆院選で300席も与えたのは大きな誤りであることを発見した。民主党政権成立後10カ月めである。今回の民主党の敗北は彼らのリベンジとも言いうる。鳩山元首相の極めて幼稚な発言、普天間基地をめぐる彼の迷走、暴走、逆走、政治主導を叫びながらその完全な腰砕け。小沢は国民新党の亀井に押されての天下り人事を容認し郵政改革法案の提出をした。小沢、鳩山による政治資金の不明朗さなどが国民を民主党から乖離させたのだ。
 小沢は今回の選挙は菅の消費税で敗れたとして菅の責任を追求し、引きおろしを画策している。枝野幹事長にも責任論が及んでいる。だが本当に悪いのは鳩山、小沢と彼らを取り巻く小沢イノセント・チルドレン(無能な子供たち)である。

古枯の木―2010年7月13日記

2010年7月10日土曜日

豊富の哲学

豊富の哲学

 戦後、左翼の学者が“貧困の哲学”なる言葉を流行させた。これはなぜわれわれがいつまでも貧しいかという対資本主義の戦術理論であり、彼らはその立論の根拠を私有財産制と労働搾取に置いた。
 古枯の木は貧困の哲学なる言葉があるなら“豊富の哲学”なる言葉が存在しても当然ではないかと考えていた。これは豊かさゆえに惨害や悲劇を蒙ることであり、歴史上幾多の例があると思われる。
 その一例がルーマニアのトランシルベニアであろう。去年の春訪問したトランシルベニアはトランシルベニア・アルプスとカラペチアン山脈に囲まれた大きな高原地帯である。美しい大自然があり、中世の自治都市の面影が残り、要塞化された教会は異民族の侵攻の激しさを伝えている。果てしなく続く黒い森があり、今にもドラキュラが出てきそうな気味悪ささえもある。この地域をルマニア人はルーマニア民族の揺籃の地(the cradle of the Romanian people)といっている。
 トランシルベニアは7世紀からロシアが南下政策の通過地点として虎視眈々狙っていた。11世紀ハンガリー王国の一部となったが、1528年オスマントルコに征服され以後400年間トルコの支配下にあった。トルコは伝統的にこの地をトルコの領土の一部と考えるようになった。18世紀にその領主はハプスブルグ家のオーストリーに変わり、その支配は第一次大戦の終了する1918年まで続いた。オーストリーはドナウ河を自国の生命線ととして重視していた。第二次大戦後はソ連の圧政に長らくしんぎんすることを余儀なくされた。
 トランシルベニアはヨーロッパ最大の天然資源の宝庫といわれ、ヨーロッパ列強の垂涎の的だった。紀元前にこの地でゴールドラッシュが起こり、ヨーロッパ最大の金鉱脈が今でもそこに眠っているとされている。1941年6月22日ヒットラーがバルバロッサ作戦を発動してソ連を攻撃したが、この攻撃の直接の目的はルーマニアのプロイエスティ(Ploiesti)の油田を確保することにあった。この油田は第二次大戦中、しばしば連合軍の爆撃を受け、1944年8月には独ソ間の熾烈な戦場となり、最後はドイツ軍が一木一草も残らぬぐらい徹底的に破壊して敗走した。
 トランシルベニアはまた肥沃な大地に恵まれている。最近、中国がここで農地を買い漁っていると聞いた。ルーマニア人は中国の土地買収をある程度やもう得ないとしながらも、アフリカで中国が示したようにただ農民から収奪するだけで農民になんらの恩恵を与えない中国の土地買収を極度に恐れているそうである。果たしてトランシルベニアの新領主は中国であろうか。また豊富の哲学の哲理は今も生き続けているだろうか。

古枯の木――2010年7月8日記す

2010年7月7日水曜日

歴史家と作家の歴史観の違い

歴史家と作家の歴史観の違い

 歴史家と作家または文士と呼ばれる者の歴史観は異なるように思われる。学問とはそもそもrealityの追求であり、学問としての歴史は歴史的事実の調査、追及である。ところが作家はある人物または事件を抽象化し、美化し、不都合な部分を故意に削除してしまう。ときには意図的に事実を歪曲し、脚色を施す。これにたいし歴史家はつねに冷静にしかも公平、公正に対処しようとする。
 一例を挙げよう。最近、工藤美代子の“われ巣鴨に出頭せず”という近衛文麿の伝記を読んだ。工藤はその中で近衛を“悲劇の宰相”とか“高貴な血の流れ”とか述べて誉めそやしている。ところが歴史家によれば(もちろん左翼の歴史家は除くが)近衛は東条、松岡とともに日本を無謀な戦争に駆り立てた3悪人の一人である。近衛は生涯3度の大きな政治的ミステイクを犯した。
最初は第一次近衛内閣の1938年1月に発した“爾後蒋介石政権を相手にせず”の声明である。一旦国家承認をした相手を一方的に取り消すのは大きな国際法違反であり、さらにこれは蒋介石政権との外交交渉の窓口を自ら閉ざしてしまうものだった。近衛には定見なく、余りにも軽率な行為だった。第二回目は第二次近衛内閣のときの1940年9月27日ドイツのスターマー特使の口車に乗せられて三国同盟に署名したことである。この同盟が英米を敵に回し、大破局導く端緒となったのは明々白々である。
  三回目は第三次近衛内閣のときに提唱した太平洋会議の失敗である。1941年8月、近衛はルーズベルトにたいし太平洋のどこかで会議を開きたいと申し入れたがにべも無く拒否された。その理由は二つある。一つはル大統領が近衛の人物に信を置かなかったことだ。近衛には悪い性癖があり、しばしば旅館や料亭の女中や仲居を無理やり押入れに連れ込んで乱暴する癖があった。しかもバカな彼は事後にそれを友人、知人に吹聴して廻ったのである。ル大統領は品性下劣な近衛の行動を全部知っていたのでその人間性を信用しなかった。次の拒否の理由はル大統領は日華事変処理のときの近衛の優柔不断さからして近衛の政治手腕に一切信を置かなかったことである。
 他の例を挙げよう。山本五十六についての伝記は数多く出版されている。そのほとんどが五十六を賞賛し、美化したものだ。作家はこれにより出版部数を増やし、収入につなげようとしているかもしれない。一方、五十六を徹底的にけなしている本もある。太陽が西に沈むのも五十六が悪いからだとの理論である。彼らは五十六をけなすことによって本の部数を増やす魂胆があるかもしれない。作家の歴史観を100%そのまま受け入れることは主体性なく極めて危険だといわざるをえない。

古枯の木―2010年7月6日記す。
 

2010年7月5日月曜日

淡白な日本外交

淡白な日本外交

 日本外交の一特色は粘りが無く淡白で駆け引きに劣ることである。それは謹厳実直で律儀な職人国家の外交といえるかもしれない。幼稚さも目立つ。特に戦後は対アメリカ屈従外交で全く自立性と主体性に欠ける。
 一例を挙げよう。日米地位協定は非常に不平等な条約である。基地の管理、利用は一方的にアメリカ軍に任せられている。NATOの下の英仏の基地は米軍との共同管理、共同利用である。少なくとも日本はNATO並みのレベルにまで引き揚げるよう米側に働きかけるべきであった。
 ところが1978年当時の防衛庁長官であった金丸信は“思いやり予算”と称して米軍基地で働く日本人の労務費、光熱費、福利費など62億円を一方的に日本側の負担としてしまった。この負担は義務でもなんでもなかった。それがいまでは2,200億円にまで膨張している。将来これが膨大な金額になるおそれもある。
 金丸は少なくとも思いやり予算を見せびらせながら日米地位協定の改定に努力すべきであった。要求されていなくても譲歩するーこれはアングロサクソンの外交では考えられぬことだ。それとも思いやり予算で恩を売っておけば他日別のことで米軍が譲歩するとでも考えたのか。だがアメリカ人には報恩の思想なんて全くない。これはこれ、あれはあれなんだ。思いやり予算はアメリカ人の気質、性情を全く知らぬ者のばかげた一人相撲であったといわざるをえない。また日本の政治屋の知的レベルはこんなものか。

古枯の木―2010年7月5日記す。

2010年7月4日日曜日

小子化対策に反対する

少子化対策に反対する

 このところ自民党も民主党も小子化を食い止めようと必死である。なぜそんなことをするのか。戦時中、日本政府は愚かにも生めよ増やせよの国策を採った。“結婚はお国のため”などというスローガンもあった。1939年5月に発生したノモンハン事件ではソ連の戦車、重砲に敗退しながらこれにたいする反省は皆無だった。軍事力の強化を高価な武器よりも安い人間に頼った。しかもその数のみを追い求めた。
 20世紀後半、ルーマニアにチャウシェスクという大統領(1965-89)がいた。彼は1971年6月、中国と北朝鮮を訪問し、大群衆の大歓迎を受けた。彼はそのとき愚かにも“国民の数が国力の源泉なり”との誤信を抱いてしまった。帰国すると妊娠中絶を非合法化し、コンドームの販売を禁止した。夫婦は子供3人以上を生むことを法律で強制し、5人生めば各種のベネフィットが与えられ、10人生めばヒーローであらゆる公営の交通機関が無料になった。その結果、ルーマニアはいまでも莫大な数の孤児の問題に悩まされている。
 日本では自民党と官僚たちが日本の財政をむちゃくちゃにした。民主党がばらまき政策でその軌跡を追っている。現在の日本は世界最高の国債依存率であり、日本はまさに危機的財政状況にある。政府は人口増加策によりこれから生まれてくる子供たちにそのつけを回そうとしている。これは余りにも時間がかかりすぎ、また余りにも姑息な手段といわざるをえない。
 日本と大体国土面積が同じのノルエーの人口が470万。これにたいし日本の人口は1億2千万。なぜ人口をこのうえ増加させなければならないのか。日本の人口は6千万でも充分ではないだろうか。

古枯の木―2010年7月2日

2010年7月3日土曜日

外交とは

外交とは

 元国務長官のHenry A. Kissinger はその著“Diplomacy”の冒頭で外交の定義をしている。それによれば外交とは“冷徹なパワーの計算に基づいて国益を追求すること”となっている。古枯の木はその著“アメリカ意外史”の中でアメリカ外交の特色を次のように書いている。
1. ときに外交の天才性を発揮する。
2. 類まれな膨張主義者である。
3. 国益のためには何でもする国である。
 一方19世紀初頭のイギリスの外交家Palmerstonはイギリス外交の原則を"イギリスにとって永久の敵はなし、永久の友もなし、あるは永久の利益のみ“と述べている。これはイギリスのみならずあらゆる国の外交に適用される大原則である。
 外交の基礎概念はやはりパワーと国益であろう。だが現実に日本外交はしたたかさに欠け、いつも淡白で、狡猾な怜悧さなど微塵も感じられないように思える。謹厳時直な職人気質の国の外交が日本外交ではないか。さらに敗戦後は米国屈従の態度から自主性を痛く欠くようになった。
 だが一番ひどいのは鳩山元総理の“友愛外交”だ。こんな幼稚なことを言った外交家や政治家は古今洋の東西と問わず一人もいない。鳩山は日本外交に“幼稚”という刻印を押してしまった。

古枯の木―2010年7月1日記す。