2010年10月9日土曜日

ブログの終息宣言

ブログの終息宣言

読者諸賢
 古枯の木は近く転居します。これを機にコンピュータの使用を止めようと思います。コンピュータの使用を止めたらもうブログも送れないわけです。コンピューターを止める理由は、最近目が悪くなり、その使用が困難になってきたこと、まだ読み残している万巻の書物をゆっくり読みたいこと、趣味である語学の勉強を押し進めたいなどです。
 長い間のご愛読大変ありがとうございました。ではさようなら。

古枯の木―2010年10月9日

2010年10月7日木曜日

鳩山由紀夫を断罪する

鳩山由紀夫を断罪する

 鳩山由紀夫が2009年9月16日総理大臣に就任したとき国民は例によってムダな空騒ぎをした。だが庶民の苦労を知らぬこのバカお殿様は翌年6月8日には政権を投げ出していた。古枯の木は現代社会の特色は国民が権力に対して失望、絶望していることだとあるエッセイに書いたが、鳩山はまさに絶望の象徴だった。
 鳩山は就任早々、政治とカネの問題を追及され窮地に追い込まれた。普天間基地に対する日米合意の見直しでは言う事が二転三転し、その迷走振りはひどいものだった。日米の同盟関係はぎくしゃくし、アメリカは日本に対する不信感を強固なものとした。鳩山はいつも基地問題については腹案があると公言していたが実は何もなかった。無策だった。こんな無責任な言動を弄した総理が今までの日本政治史上いただろうか。
 鳩山の外交理念である友愛外交は諸国民の嘲笑を買った。和を尊ぶことはいいことかも知れぬが、これを国際関係に適用した総理や大統領がかつてこの地球上に存在したであろうか。各国はパワーの冷徹な計算のうえ、必死になって日夜国益を追求している。鳩山は個人的な希求を外交政策に転換しようとした稀代のバカものである。
 二度とこのような人間は総理になってもらいたくない。ただ鳩山は一度だけいいことをした。それは“一度総理をし者は政界に影響力を残すべきではない”と言ったことだ。だがこれもウソか。鳩山はいつまでたっても議員を辞めようとしない。

2009年10月6

日本語と日本食

日本語と日本食

  古枯の木の知り合いでハワイ生まれの日系二世がいる。英語が大変流暢で日本語は全然話さなかったのでてっきり日本語ができないと思っていた。ところが年老いて少々ぼけてきたとき、彼は突然日本語を話し始め、英語はほとんど出なくなった。ある人によると人間は老境に入ると最初に覚えた言葉に戻るという。この日系二世は子供の頃、人種差別のため白人の子供と遊ぶことができす、もっぱら日系人の子供と遊び、最初の言葉として日本語を覚えたそうだ。その日本語に彼は帰ったわけだ。
 古枯の木は外国語とくに英語が若い頃大好きだった。日本語を忘れるぐらい英語の勉強をしようと考えたこともある。最近では英語のテレビを見るのが億劫になり、日本語のテレビを多く見るようになった。やはり最初に覚えた言葉に帰ってきたのか。
 またよく人間は年老いると最初に食べたものに戻るという。古枯の木は若い頃アメリカ食が大好物だった。だた最近はこれを回避するようになり日本食に回帰してきた。友人の一人がアメリカの病院に入院した。食事に出てきたものは大きなハンバーガーだったという。かれはハンバーガーよりもおかゆと梅干を渇望した。最近古枯の木はそばとうるめいわしの丸干しを好んで食べている。
 人間は年老いると故郷に帰りたがるそうだ。古枯の木は日本語と日本食に帰ってしたが同時に日本の故郷を偲ぶ心も強くなってきた。

2010年10月6日。

2010年10月3日日曜日

K博士からの手紙

K博士からの手紙

 古枯の木が最も敬愛する人の一人にK博士がいる。食物のうまみの成分であるイノシン酸を発見した理学博士で現在83歳、千葉県のある大学の教授をしておられる。近年、古枯の木は一橋大学の同素会会報である如水会報にエッセイを寄稿してきたが、そのうちの3篇を博士に送った。すると博士からすぐに次のような返事が帰ってきた。
 第一のエッセイである“アメリカの日系人”について博士は1865年に始まったアメリカ移民に対するアメリカ人の人種差別と寛容の心の錯綜、特に真珠湾攻撃以後の複雑な庶民のエピソード、そしてコロラド州カー知事、ケネディー大統領、カリフォルニア州ディル議員の多分宗教に裏打ちされた毅然たる態度に深い感銘を受けたと。
 第二のエッセイは“ゴールドラッシュとジョン万次郎”。ゴールドフィーバーに浮かれて集まって来たいろいろの民族の人達の働きぶりに各民族の特性がかくも鮮やかに現れていたとは驚愕した。それにしてもロシア人はゼロ、日本人は万次郎ただ一人というのは面白い、万次郎が只者でないことに改めて感服した。
 最後のエッセイは“山本五十六とロサンゼルス”。古枯の木が元帥の作戦に関し“ソロモン群島での消耗戦の繰り返しは余りにも凡庸”と述べるのは余りにも手厳しい。でも考えてみるとあの消耗戦が敗戦の端緒になったのは誰しも認めざるをえないので、元帥は作戦についてはある程度凡庸であったかもしれない。
 この講演会をきっかけに猪瀬よし子と巡り会えたのは素晴らしい奇遇である。よし子さんの伯母さんも、そして山本元帥も、天国でさぞ喜んでおられることだろう。時と処を超えた人と人のつながりの不思議さ、尊さに深く感動した。
 以上が小生のエッセイに寄せられた博士のコメントである。博士はさらに続けて語る。時代が移っても、アラブとイスラエルの争い、さらに最近では日本と中国のギクシャクした関係などに心を痛めている。すべての人々が、いま、ここに共に生きる喜びを称え合う真に平和な世界をしかと見届けてから旅立ちたいと思っているが、間に合わないだろうか。
 博士は大学教授の傍ら自宅に私塾を持っておられる。これは小6から高3までの子供たちに数学の楽しみを教えるためのものだ。大学教授を退官してもこの私塾は続けるという。また78歳の奥さんは英語塾を持っており、奥さんもしばらくこの塾を続けられるそうだ。
 博士は健康で長生きするために自身で五箇条のご誓文を作られた。それは次の通りである。
1. よく食べる
2. よく眠る
3. 排泄に異常なきよう気をつける
4. 全身どこにも疼痛なきよう心がける
5. 日々適量の酒に生きる喜びを味わう
 
 この五箇条のご誓文が維持されるならば年齢なみに健康だと満足することにしているそうだ。なお博士の好奇心はいまも旺盛で昨年はスペインとポルトガルに旅行された。今後とも博士が奥さんと共にますますお元気に、価値ある日々をお送りなさるよう心から祈っている。

古枯の木―2010年10月2日