2009年9月28日月曜日

癒着体質の日本社会

癒着体質の日本社会

 最近、1939年5月11日(12日との説もある)に始まったノモンハン事件の研究、調査をしている。この事件で近代化の遅れた日本陸軍はソ連戦車部隊により大打撃を受け、大敗北を喫した。日本陸軍の責任者は関東軍作戦参謀の服部卓四郎と作戦主任の辻政信。事件は8月いっぱいでほぼ終わり、9月15日、後にソ連の国防相となるジュウコフ中将との間に停戦協定が結ばれた。40年1月“ノモンハン事件研究委員会”が設置され、春ごろ報告書が完成した。ところがこれが発表されるまえに要点はぼかされ、真実は曲げられ、余計な文章が挿入されて精神主義を強調したおかしなものになってしまった。おそらく委員会のメンバーと服部や辻を助けたいと思うグループが癒着した結果であろう。
 2005年の尼崎JR線脱線事故で国土交通事故調査委員会が最終報告案を守秘義務に違反して正式発表まえに一部の関係者に漏らしていた。最終報告書が改ざんされたか、または余分な文章が入れられたかは未だ定かではないが、委員会と一部関係者の間には公共の利益を無視してお互いに助けたいという癒着の念が存在したのであろう。
 日本の社会や日本人の精神構造はノモンハン事件のころから余り進歩していないように思われる。

古枯の木――2009年9月27日

核なき世界への決議

核なき世界への決議

 2009年9月24日国連の安全保障理事会で各国首脳たちの全会一致で“核兵器のない世界”の実現への決議がなされた。オバマ大統領は歴史的な決議であると自画自賛し、鳩山首相はこれを核軍拡の連鎖を断ち切る道だと賛美した。
 この決議は古枯の木によれば世界最大の核保有国であるアメリカが国連という宣伝の場を利用して行った大宣伝、大芝居に過ぎぬ。冷戦を何年続けても核問題は少しも解決されなかった。これが一片の決議で解決されるわけがない。核の廃絶を叫ぶのは単なるイデーの繰り返しで別に目新しいことではない。大体核の廃絶などという最大極限のものはいつも無害のものである。
 平和の宣伝はもともとアングロサクソンの18番であった。彼らはこれにより世界の国々を抑えてきた。一方、ロシアもこの点ではときに外交の天才性を発揮する。とくに彼の軍事力が強大なときcomplete disarmament を主張してきた。これはロシアの伝統であり、外交史上有名な事例が3件ある。第1回目は1899年の第1回ハーグ平和会議のときでニコラス2世がcomplete disarmament を提唱した。第2回目は1927年の国際連盟総会でリトビノフ外相が“世界は一つ、平和は一つ”と叫んで完全軍縮を提起した。これは“Litovinoff general disarmament” として有名である。第3回目は1959年9月19日で、このときソ連は軍事力で世界第一と目されていた。フルシチョフが国連総会で原爆の全廃を含むcomplete disarmamentを持ち出し、アイゼンハワーやマクミランの顔色無からしめた。
 今回メドベージェフに先を越されることを恐れたオバマが軍事力の世界最強の現在、無用、無害な決議を提起し宣伝効果の大きな大芝居(propaganda mountain)を打ったのだ。オバマが宣伝戦でロシアに勝ったと言い得る。
古枯の木――2009円9月27日

2009年9月21日月曜日

CMと日航は同じ穴の狢

GMと日航は同じ穴の狢(むじな)

 GMの労働組合が極めて貪欲で傲岸不遜、経営のことにまで干渉していたことはつとに知られている。退職者の膨大なベネフィットがGM破産の大きな原因だった。一方、日航の社員が在職中手厚く庇護され、退職後のベネフィットがダントツであることは周知の事実である。
 古枯の木の知り合いの娘さんは日航のフライト・アテンダントだった。すばらしい会社の社宅に住み、アラブの女王のような生活をしていたという。空港へ出勤するのはすべてタクシーで電車に乗ったことはなかったそうだ。洗濯ものは箱に入れさえすればすべて無料でやってくれた。たびたび飛行機に乗って、札幌までラーメン一杯を食べに行った。そのころ貧乏人がバカに見えてしかたなかったという。
 こんなに社員を甘やかした会社は必ず破綻を来たす。日航の西松社長が日航の再建計画なるものを示したが、それは6,800人の従業員の削減と大幅な路線の縮小のみで社員のベネフィットの再検討には触れていない。鳩山新政権の前原国土交通相が日航の有識者のメンバーを切り替えると言っているがこれはいいことだ。
 もし日本人社長がベネフィットの削減を打ち出せないならば、日産の場合と同様外部の力に頼らざるを得ない。デルタ航空やアメリカン航空から人を得て彼にやらせるのがいい。古枯の木は昔アメリカで会社を経営していたとき、日本の本社の抵抗が強いと判断した場合は必ず白人を立てて日本本社の抵抗を排除しようとした。白人はプレゼンテイションがうまいし、日本人は白人に極度に弱いからだ
 日航がこの手法を用いて白人を利用すれば労働組合は屈服し会社の再建が成るかもしれない。それは同時に今まで貧乏人をバカにしてきた者への因果応報でもある。

古枯の木――2009年9月19日記す。

2009年9月16日水曜日

対等な日米関係など論外

対等な日米関係など論外

 民主党の鳩山代表がその政権公約で対等な日米関係を打ち出した。ではそれは本当に実現可能か。結論から先に言えばそれはドンキホーテ的公約であり、絵に描いた餅に過ぎぬ。実力関係から不可能である。鳩山氏は日本がアメリカによって守られているという事実を忘れているのか。また鳩山は対等な日米関係を提唱しないと自己の地位を失うかもしれないと恐れているか。
 “自ら防守しないものはすべて略奪される”というのは国際政治の鉄則である。日本に充分な防衛力のないときに、戦後日本の平和が維持されたのはアメリカ軍のプレゼンスのおかげだ。日本が核武装をし、充分な防衛力を保持し、真に自主独立の国になったときに対等な日米関係が実現するかもしれない。
 もし古枯の木が鳩山だったら対米関係では安保条約と地位協定の改定を政権公約に掲げる。安保条約には条約という名称が付されているが、じつは無制限にアメリカに対し、基地と駐兵権を与えた一方通行のものだ。わが国が提供する基地は具体的になるべく少数に限定すべきだ。基地の施設や使用は、NATOにおける英仏と同じく, 日米両国の共同管理、共同使用に服しなければならない。現行のようにアメリカの単独管理、単独使用の権利は排除されるべきだ。
 駐兵権については軍隊の量を制限するのが望ましい。また装備に関しては協議の義務を規定するのが理の当然である。核はわが国の生存および安全に至大の関係あるものであるからその持込、使用、移動などは協議事項としなければならない。
 日本の無条件降伏に対する最大の権利が安保条約と地位協定だった。軍隊の持つ機動性と機密性からこれら条約の改定は決して容易なことはないが、なるべく上記の線に近いところで改定するのが望ましい。

古枯の木――2009年9月15日記す。

2009年9月14日月曜日

訪日の楽しみ

訪日の楽しみ

 古枯の木は10月11日から約3週間訪日する。今まで日本では戦史に関係する場所を訪問する機会が多かったが、山本五十六の講演会も終わったので今回は趣をがらりと変えて世界遺産の一つである島根県の石見銀山と青森県の日本海側にある保養地ウエスパ椿山を訪問することにした。
 かくするうち日本在住の友人から連絡があり、自宅で山本五十六の手紙が発見されたので見に来ないかと伝えてきた。彼の父君は戦前に東大を卒業し、直ちにプリンストン大学に学んだエンジニアーだ。五十六はアメリカ在勤中、彼の才能を見出し、海軍に入隊するよう要請した。友人が発見した五十六の手紙とはこの要請ためのものである。彼の父君はこの手紙に痛く感動し、海軍大尉の階級で海軍に入隊した。五十六に従ってロンドンの軍縮会議に参加し、敗戦まで海軍に奉職したとのこと。
 もちろん友人には必ず行くから五十六の手紙を見せて欲しいと依頼した。これで訪日の楽しみが一つ増えたことになる。

古枯の木――2009年9月13日記す。
1.

2009年9月10日木曜日

契約と条約

契約と条約

 一国内の契約についてはおそらくすべての人々はこれを遵守すべきと考えているだろう。では国際間の条約についてはどうか。日本人は条約と契約を同一の次元で捉えて条約は契約と同じく律儀に守るべきものと考えている。では欧米人はどうか。彼らは条約をどのように考えているのだろうか。契約と条約は別物であるとみなしていないだろうか。
 欧米諸国は自分に都合のよいときは条約を守る。ところが一旦都合が悪くなると弊履のごとく履き捨てる。これは外交史上実証できる。そのためある人は条約当事者は所詮同床異夢であると喝破した。では条約に対して何が優先するのか。思うにそれは国益(national interest)である。
 条約に対処する方法につき欧米諸国の間でも違いが生ずる。アングロサクソンは偽善的紳士であるため条約の廃棄にはある種の限度がある。一方ロシアは野武士的、労働者的であるためなんでもできる。ロシア史は実に破約の歴史である。
 1945年8月7日ソ連が1946年4月13日まで有効期間のある日ソ中立条約を破って旧満州に侵入した。でも欧米の学者はこれを大きな問題として取り上げない。“ソ連は日本に対して復讐した”と簡単に片付けている書物が多い。ソ連侵略のとき、ソ連とソ連の友好を信用しなかったモスクワ駐在の佐藤尚武大使は直ちにソ連の参戦に抗議したが、ソ連は中立条約の侵犯については触れず“汝をを救わんがために、汝を殺す”という冷酷無比のロジックで回答してきた。
 国際社会と国内社会の基本的相違は何であろうか。思うにそれは誰が万能であるかの相違であろう、国内社会ではそれを構成する各メンバーは無力であり、国家が万能である。一方国際社会ではそのメンバーである各国家が万能であり、国際社会そのものは極めて無力である。それが証拠に、かつてドイツは全世界を敵に回して2度まで戦いを挑んだ。1991年フセインのイラクは全欧米を相手に一人で戦った。そのため国際社会は国内社会に比較して発展の度合いが低く、自然状態に近く、法治社会以前の後進未開の状態にあると言い得る。条約とはそのような社会の法的産物である。
 日米間には安保条約があり、日本人は一旦ことあるときはアメリカが日本を守ってくれると信じているがアメリカか日本を守る保障はどこにもない。具体的にもし北朝鮮がわが国を攻撃してきたとき、アメリカは日本を守るだろうか。それはアメリカがリスクと国益を比較し、利益あると判断したときのみ日本を助ける。日本を助けるに当たって一番大きな課題は中朝間の同盟条約であり、アメリカは中国との戦争を覚悟してまで日本に肩入れはせぬだろう。
古枯の木――2009年9月9日記す。

2009年9月3日木曜日

民主党の圧勝に思う

民主党の圧勝に思う

 自民党はここ10年ぐらい小泉純一郎の場合を除いて影武者たちが弱い総理を擁立して自由にこれを操作し、票田に金をばら撒いて議員席の確保のみに注力し、国の安全や国民の福祉をおろそかにしてきた。今回の衆議院選挙で民主党が308議席を獲得し大勝したが自民党にとりその敗北は因果応報である。
 そもそも政党とは政権獲得会社であり、もし配当がなければ株主は直ちに雲散霧消してしまう。しかもオバマ大統領のように素早くやらねばならぬ。さらに日本の政党は真の意味の政党ではなくてfactionに過ぎぬ。もたもたしていると烏合の衆である民主党そのものが瓦解してしまう。
 鳩山総理候補に望むことは民主党が天下の公党として日本民族の運命を背負っており、民族の利益を増大させるという気概を持ってほしいということである。影武者を寄せ付けず、いつも公明正大に大所高所から建設的なpolicy making, decision making をなすことが必要である。
 政治とは生存競争の表れであり、生存競争には絶対に力が必要である。308議席という力をフルに利用すべきである。わずかな議員しか持たぬ福島みずほの社民党、亀井静香の国民新党、志位和夫の共産党などは黙殺すればよい。つまらぬ相手に大騒ぎするから相手が図に乗って第一党や第二党のような振る舞いをする。連立政権の下らぬ夢は忘れるべきだ。
 四日市市に住む日本の友人が最近発表された鳩山論文を送ってくれた。これは全くの正論であり、自民党の細田幹事長がなぜ非難したのか理解できない。この論文に対してアメリカのジャーナリズムは鳩山はグローバリゼーションや市場原理主義に反対であるとかアジアに軸足を移さんとする日本の外交政策は危険であるとかコメントしている。またたとえアジア共同体ができても日米関係の維持強化を望むとも述べている。いつまでも、どこまでもアメリカに追従してくると思っていたアメリカ政府にとり鳩山論文は驚きというよりは意外の念を持って受けとられたのだろう。
 グローバリゼイションの目的は私見では市場の狭隘化に対する対症療法と石油を含む資源の独占を意味した。一国の総理大臣がこれを批判するのは当然の権利である。またアジアの一国としてアジアを重視することも理の当然である。過去に記者団から日本の進むべき方向について質問を受けると、“適切に判断する”という総理が多かった。総理たる者は得るところと失うところのいずれが大きいかをよく斟酌し、ときには“日本はその国益の命ずるところに従って行動する”と言ったらどうか。
 さらにアメリカのジャーナリズムはゲイツ国防長官を含むアメリカの要人数人が近く鳩山に会うため日本を訪問すると伝えている。こんなことはいままでに決してなかったことであり、アメリカの力の衰退を感じる。
 外交史上有名な格言がある。それは“アレクサンダー、それは夢であり、ナポレオン、それは行動である”である。アレクサンダーとは1821年、アラスカとカリフォルニアの領有宣言を発した夢多きロシアのアレクサンダー1世を意味する。鳩山総理候補にとり政権公約は一種の夢であったろうが今後はチェンジに向け果敢な行動を起こしてもらいたい。
 敗戦後、日本の平和が保たれたのは、アメリカに負んぶしてきたからだ。平和憲法のためではない。もしアメリカの核の傘を脱したら、たちまち真空地帯が生じ、中国、北朝鮮、韓国に日本の領土の全部または一部が狙われてしまう。安保条約があってもアメリカが日本を守るという確約はない。同盟関係を維持しつつ、この点についてにのアメリカのコミットメントを得ることが肝要だ。もちろん国力の差からアメリカとの対等な関係はドダイ無理で、ある程度従わざるをえないと考える。
 安保条約は日本に領土公権があることを承認するもアメリカは租借地を自由にいくらでも得ることができる。地位協定は全く不平等条約の典型だ。NATOでは英仏は共同使用権としてアメリカに基地を提供している。日本は早急にNATO並みにその改定を求めるべきだ。
 最後に鳩山総理候補は祖父鳩山一郎の友愛精神を説くが、1929-34年のロンドン軍縮会議の頃、海軍の対米強硬派の加藤寛治、末次信正の尻馬に乗って犬飼毅とともに日本を軍国主義の方向に追いやった張本人の一人であることを付け加えておく。
古枯の木――2009年9月2日記す。

2009年9月2日水曜日

人種の坩堝

人種の坩堝(るつぼ)

 アメリカは一般的には多種多様な民族の混在する人種の坩堝であるといわれている。でも本当に人種の坩堝であろううか。坩堝というからにはすべてのものが混合、融和していなければならないが、本当に融和しているだろうか。アメリカ人ジャーナリストで歴史学者でもあるMichael Lindはその著書“The Next American Nation” の中でアメリカは過去に3度革命を経験し、今さらに4度目の革命に入りつつあると強調する。第1のものは独立時のアングロアメリカン革命、第2番目のものはドイツ、イギリスから多数の移民がやって来、アメリカが第一次大戦に参戦するユーロアメリカ革命、3番目のものは多種の文化が混在するマルタイ・カルチャー革命、そして最後のものがいま経験しつつある全アメリカ的坩堝革命(Trans-American Melting Pot)だという。

 Lindは5族(アングロサクソン、黒人、ラティーノ、インディアンそしてアジア人)が共存共栄し、人種の坩堝の中で新しい社会的そして政治的秩序を形成しつつあるという。そして彼はこの現象を人種偏見のないリベラルなナショナリストの革命だと説明する。だが本当にこの社会は5族が協和し人種の坩堝をなしているだろうか。
 
 古枯の木は人智はそこまでは発達していないと思う。各種族は自分たちの伝統、文化、言語、宗教を墨守し、容易に他種族と交わろうとしない。このような現実に逢着して、あるアメリカの識者はアメリカは人種の坩堝からは遥かに遠く、ブイヤベース(bouillabaisse)の社会を形成しているに過ぎないと喝破した。ブイヤベースはフランス料理の一種で白身の魚、いか、貝などの海の食材と玉ねぎ、セロリ、トマトなど陸の食材に香辛料としてサフランを加えたごちゃ煮のスープ。ごちゃ煮ではあっても各食材は崩れず原型を留めている。現在のアメリカはmelting potではなくて、せいぜいブイヤベース程度かもしれない。

古枯の木――2009