2010年1月21日木曜日

陸軍の3人のA級戦犯

陸軍の3人のA級戦犯

 日本の旧陸軍には戦犯と呼ぶべき軍人が多いが、もし極悪の3人を挙げよと言われたら古枯の木は躊躇なく辻政信、服部卓四郎、瀬島竜三を挙げる。これら3人は最も責任ある立場にありながら最も無責任で、戦争責任のかけらもなく、自制力なく、無能であった。軍事よりも政治を好み、戦後国民に詫びたことなど一度もなかった。
 服部と辻は1939年5月11日に勃発したノモンハン事件のときの関東軍の作戦主任と作戦参謀、彼らの目当ては勲章と出世のみ、ソ連の武器の質と量で大敗北を喫したがその反省は全くなく、新知識を否定し、高価な武器よりも38式歩兵銃しか持たぬ安い人間に頼り、しかも数のみを追った。敗戦の責任を前線の指揮官に押し付けピストルを贈って自殺を強要した。
 2人はノモンハンの敗戦後、しばらく閑職にいたが1941年3月末までに無謀、乱暴、横暴とあだ名された東京の陸軍参謀本部に戻っていた。太平洋戦争開戦時、服部は作戦課長、敗戦時は部長、辻は開戦時、参謀本部作戦班長だった。服部は1944年華北から華南に至る無意味な大陸打通作戦を実施して大失敗を犯した。戦後、偽名を使用して復員省に職を得、GHQのウイロビーに取り入って懺悔の記録である“大東亜戦争全史”を書き、GFQから金をもらった。朝鮮戦争のとき警察予備隊が創設され、彼は参謀総長の職を狙っていたが、当時の総理、吉田茂の“バカやロー”の一喝でそれは実現しなかった。それにしても服部のとりうることのうまさと変わり身の早さには驚く。
 辻もいろいろの下手な作戦指導をしたが、最悪のものはガダルカナル作戦である。これは42年8月に始まり、43年2月に終わったが、この戦争で14,550人が戦死し、6,650人が栄養不良で戦病死した。敗戦時、辻はバンコックにいたが僧侶に身をやつして各地を逃げ回った。48年戦犯が解除されるや日本に帰り、衆参議員に当選した。61年出国したがラオスで虎に食われたとのうわさがある。
 瀬島は開戦時、参謀本部参謀、そのあと関東軍参謀などを歴任した。インパール作戦はかれの犯した最大の犯罪である。この作戦は43年3月から始まり6万人の将兵が犬死した。参謀本部のある参謀が瀬島にこの作戦の無謀を説き止めるよう勧めたが、瀬島は“お前に何が分かるか”と言ってはねつけた。フィリッピンではレイテ作戦を強行して大失敗をした。作家の山崎豊子はその著“不毛地帯”で瀬島を極端に美化している。作家はそれでもいいだろうが、歴史家はそうはゆかぬ。ソ連に12年間抑留された後、商社の伊藤忠に入社したが、これは伊藤忠のために戦後賠償の利権を漁るためだった。
 服部、辻、瀬島の3人は参謀本部の中で机を並べていた。功名心、名誉欲の旺盛なことで彼らは共通していた。いつも強行論を述べ、大言壮語し、派手な行動が目立った。ある元軍人はこれら3人は畳の上で死んではいけない人間だとも述べている。このような無責任、無能の参謀たちにコントロールされていた日本陸軍は本当に不運であったとしか言いようがない。

古枯の木

4 件のコメント:

  1. 「辻政信、服部卓四郎、瀬島竜三」
    我が意を得たりとの思いであります。
    日本型組織の諸悪を顕現しているような生き方であり、
    人物であると常日頃感じておりました。

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  2. 真に御説の通りです。
    しかしながら日本社会で所謂有力者のタイプとしてこの3人に類する人間が多いことは日本社会の宿痾とも言うべき傾向だと思います。
    佐々淳行氏が瀬島は旧ソ連のスパイであると断定しておりますが、佐々氏さえ手が出なかったところを見ると恐らくはダブルスパイであったのでしょう。

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  3. 真に御説の通りです。
    しかしながら日本社会で所謂有力者のタイプとしてこの3人に類する人間が多いことは日本社会の宿痾とも言うべき傾向だと思います。
    佐々淳行氏が瀬島は旧ソ連のスパイであると断定しておりますが、佐々氏さえ手が出なかったところを見ると恐らくはダブルスパイであったのでしょう。

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  4. 個人の意見ではありますが、太平洋戦争最大の戦犯と言われれば石原莞爾だと思います。
    太平洋戦争の遠因は日中戦争(時代的には抗日戦争の方が正しいのでしょうが)の原因を作った満州事変の首謀者とされているので...あの頃の日本では米と戦争をしても講話に持っていくことはかなり難しかったと考えています。なので遅かれ早かれ阿鼻叫喚の地獄になっていたと考えれば、間接的とはいえ原因を作った石原莞爾は候補ぐらいには上がるかと思いました。
    尤も戦犯と一口に言っても今は複数ありますし、どこに重点を置くかは人によって変わると思いますので、悪しからず

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