アメリカ・ドッキリ物語(10)
古枯の木
Close Out Sales
いままで9回にわたり肝を冷やしたり、びっくりすることばかり書いてきたが、最後はドッキリではなくてナイスサプライズをご紹介したい。
ロス郊外のブエナパークという町にKnott’s Berry Farm という遊園地がある。もともとこの遊園地はカリフォルニアのゴールドラッシュのときに繁栄し、後にゴーストタウンと化した町にあった学校、消防署、教会、サロンなどを集めて展示したものだが、それ以外にアメリカ東部のフィラデルフィアにある独立記念館のレプリカが置かれている。
この遊園地のすぐ近くにCrystal Factoryという店があり、ここではガラス製品、陶磁器、ボーンチャイナなどを販売している。よく行く店だが、いつ訪問しても“Close Out Sales”(店じまいセール)と書いた大きな旗が店頭に掲げられている。これはおかしいと思ってあるときこの店のオーナーに訊いてみた。
筆者―“いつ来ても“Close Out Sales”の旗が掲げられている。でも閉店するのを見たことがない、これはインチキではないか“
オーナー“いやインチキではない。われわれは毎晩9時に閉店している、だから今売っているのは店じまいセールだよ”
古枯の木―アメリカ在住35年
2009年1月30日金曜日
アメリカドッキリ物語 9
アメリカ・ドッキリ物語 (9)
古枯の木
教師に反論する
わが家の長男は小学校をアメリカで学んだ。あるとき先生の意見に反論したいが。そのためには反論の根拠、理由を3つ上げなければ先生はとりあってくれないと言ってきた。反論の理由を2つまでは発見したが、最後の一つが見つからないのでヘルプしてくれというのだった。先生の意見とまったく別のことを長男は書いたが先生から“A”の評価をもらってきた。先生も自分の意見に反しても、根拠のある反論には充分価値を認めるという度量の大きさに驚くと同時に感服した。先生に反論するという長男の言葉に驚いたが同時にいろいろ考えさられることもあった。
アメリカでは小学校の3年生から生徒にいろいろの本を読ませ、それをレポートにまとめた後、教室の中で発表させる。小さいときからこのような訓練を積んでくるので自分の意見や根拠を持つ習慣ができ、聴衆の前でのプレゼンテイションが上手になる。よくアメリカ人は口がうまいといわれるが、その理由はこの辺にあろう。
幼児からの訓練も大いに関係してくるが、もっと重要なことは“個”に絶対的倫理観が根付いていることだと思う。西洋の倫理観には生命と活力に溢れたキリスト教の倫理観に基づくものが多い。日本人にはかかる強力な倫理観が欠如しているため個が未だ確立していない。日本人には子が親に対する、または妻が夫に対する相対的倫理観はあるが絶対的倫理観はない。隣がテレビを買えば自分も買う式に無定見に雪崩を打って傾斜するという欠点がある。このような状態では生徒が先生に反論するなどドダイ無理な話だ。生徒は先生の言うことに従順に従えというのが日本人の一般的感情だろう。これはわが民族の最大欠点の一つだ。この点から日本でも幼児期から倫理教育の必要性を感じる。
古枯の木―ロス在住35年、著書に『アメリカ意外史』『ゴールドラッシュ物語』など)
古枯の木
教師に反論する
わが家の長男は小学校をアメリカで学んだ。あるとき先生の意見に反論したいが。そのためには反論の根拠、理由を3つ上げなければ先生はとりあってくれないと言ってきた。反論の理由を2つまでは発見したが、最後の一つが見つからないのでヘルプしてくれというのだった。先生の意見とまったく別のことを長男は書いたが先生から“A”の評価をもらってきた。先生も自分の意見に反しても、根拠のある反論には充分価値を認めるという度量の大きさに驚くと同時に感服した。先生に反論するという長男の言葉に驚いたが同時にいろいろ考えさられることもあった。
アメリカでは小学校の3年生から生徒にいろいろの本を読ませ、それをレポートにまとめた後、教室の中で発表させる。小さいときからこのような訓練を積んでくるので自分の意見や根拠を持つ習慣ができ、聴衆の前でのプレゼンテイションが上手になる。よくアメリカ人は口がうまいといわれるが、その理由はこの辺にあろう。
幼児からの訓練も大いに関係してくるが、もっと重要なことは“個”に絶対的倫理観が根付いていることだと思う。西洋の倫理観には生命と活力に溢れたキリスト教の倫理観に基づくものが多い。日本人にはかかる強力な倫理観が欠如しているため個が未だ確立していない。日本人には子が親に対する、または妻が夫に対する相対的倫理観はあるが絶対的倫理観はない。隣がテレビを買えば自分も買う式に無定見に雪崩を打って傾斜するという欠点がある。このような状態では生徒が先生に反論するなどドダイ無理な話だ。生徒は先生の言うことに従順に従えというのが日本人の一般的感情だろう。これはわが民族の最大欠点の一つだ。この点から日本でも幼児期から倫理教育の必要性を感じる。
古枯の木―ロス在住35年、著書に『アメリカ意外史』『ゴールドラッシュ物語』など)
アメリカドッキリ物語 8
アメリカ・ドッキリ物語 (8)
古枯の木
日本人旅行者に肝を冷やすこと
アメリカのホテルやモテルには水泳プールのほかにジャクジを持っているところが多い。ジャクジとは小型円形の小さなプールまたは風呂場のようなもので、ジェット水流を流して中に入る者の疲れた筋肉をほぐし、精神的にリラックスしてくれる。
このジャクジによく日本人が風呂を間違えてフリチンで飛び込む。するとジャクジやプールにいるアメリカ人男女が悲鳴をあげて逃げ出す。この話をあるホテルのマネジャーから聞いたときは大きな驚きだった。ジャクジに入るときはプールに入ると同様水泳パンツ(英語ではswimming pantsとは言わない。これは和製英語。英語ではbathing suitという)こんなことをしていると日本人は野蛮人と間違えられる。ホテルのマネジャーには日本語の注意書きをジャクジに立てるよう伝えた。
日本人旅行者をレストランに連れて行くと、スープを飲むとき大きな音を立てる人がいる。スープは音を立てずに静かに飲むものであり、音を立てるとアメリカ人の顰蹙を買う。サラダの皿を上に持ち上げてサラダを食べる人もいるが皿なテーブルの上に置いておいた方がいいい。同じテーブルにアメリカ人が座っていても断りもせず、平気でタバコを吸う人がいる。必ず事前に次のように断って吸うべきだ。
“Don’t you mind me smoking cigarettes?”(タバコを吸ってもよろしいでしょうか)
~“No, I don’t mind.”(吸ってもいいですよ)
便所に行った日本人がよくズボンのzipper(チャックは和製英語で、英語ではzipperという)をかけるのを忘れることがある。そのようたとき、アメリカ人は、
“What are you advertising?”(何の宣伝をしているの)
と言って相手の注意を引く。
またときには日本人旅行者が公園などで平気で立小便している光景を目の当たりにする。立小便はいかなる場所でもしてはならない。
日本人のホームステイの面倒をよくみているアメリカ人から、日本人は便所で用を足したとき必ず便所のドアを閉めてしまうという。アメリカ人は便所が空いているときは必ずドアを開けておく。閉めてしまうと家人には誰かが未だ便所に入っているという感じを与え使用すうことを遠慮してしまうという。
古枯の木―一橋大学大学大学院修了後、アメリカで勤務、歴史愛好家、著書に『楽しい英語でアメリカを学ぶ』『アメリカ意外史』など)
古枯の木
日本人旅行者に肝を冷やすこと
アメリカのホテルやモテルには水泳プールのほかにジャクジを持っているところが多い。ジャクジとは小型円形の小さなプールまたは風呂場のようなもので、ジェット水流を流して中に入る者の疲れた筋肉をほぐし、精神的にリラックスしてくれる。
このジャクジによく日本人が風呂を間違えてフリチンで飛び込む。するとジャクジやプールにいるアメリカ人男女が悲鳴をあげて逃げ出す。この話をあるホテルのマネジャーから聞いたときは大きな驚きだった。ジャクジに入るときはプールに入ると同様水泳パンツ(英語ではswimming pantsとは言わない。これは和製英語。英語ではbathing suitという)こんなことをしていると日本人は野蛮人と間違えられる。ホテルのマネジャーには日本語の注意書きをジャクジに立てるよう伝えた。
日本人旅行者をレストランに連れて行くと、スープを飲むとき大きな音を立てる人がいる。スープは音を立てずに静かに飲むものであり、音を立てるとアメリカ人の顰蹙を買う。サラダの皿を上に持ち上げてサラダを食べる人もいるが皿なテーブルの上に置いておいた方がいいい。同じテーブルにアメリカ人が座っていても断りもせず、平気でタバコを吸う人がいる。必ず事前に次のように断って吸うべきだ。
“Don’t you mind me smoking cigarettes?”(タバコを吸ってもよろしいでしょうか)
~“No, I don’t mind.”(吸ってもいいですよ)
便所に行った日本人がよくズボンのzipper(チャックは和製英語で、英語ではzipperという)をかけるのを忘れることがある。そのようたとき、アメリカ人は、
“What are you advertising?”(何の宣伝をしているの)
と言って相手の注意を引く。
またときには日本人旅行者が公園などで平気で立小便している光景を目の当たりにする。立小便はいかなる場所でもしてはならない。
日本人のホームステイの面倒をよくみているアメリカ人から、日本人は便所で用を足したとき必ず便所のドアを閉めてしまうという。アメリカ人は便所が空いているときは必ずドアを開けておく。閉めてしまうと家人には誰かが未だ便所に入っているという感じを与え使用すうことを遠慮してしまうという。
古枯の木―一橋大学大学大学院修了後、アメリカで勤務、歴史愛好家、著書に『楽しい英語でアメリカを学ぶ』『アメリカ意外史』など)
アメリカドッキリ物語 7
アメリカ・ドッキリ物語 (7)
古枯の木
Japanese Indians
去年の秋、アリゾナ州のインディアン居留区(reservation)の一つを訪問した。そのときある店のインディアンの老婆からニューメキシコ州に自他共に日本人の末裔であるといわれるインディアンの存在することを教えられた。このインディアンをズーニー(Zuni)と呼ぶ。ズーニーはGallupという人口2万人の比較的大きな町の南方35マイルの地点におり、人口は6千人。部族の団結力が強く、男性は非常に勤勉で他のインディアンとは異なり酒は飲まないという。女性は日本人と同様手先が大変器用で彼女らが葦を材料に織るバスケットは水を漏らさぬというし、彼女らの作る銀とトルコ石の装身具は日本的に極めて精巧で他のインディアンの追随を許さぬそうだ。値引きは絶対に不可能とのこと。日本人がアリューシャン列島やアラスカを経由してアメリカにやって来たという説があるが、こんなに具体的にJapanese Indians の存在を聞かされたのは初めてでこれも一つのドッキリだった。
早速図書館に行き、ズーニーインディアンの特色を調査した。次にそれを箇条書きにするが果たして日本人との共通点はあるだろうか。
1. 太陽を神を崇め、酋長が絶対的権力を有する。
2. ズーニーは孤立性が極めて強く、その言語は他の種族の言語とまったく類似性がない。インディアンに共通語は存在しないが、それでも例えばホッピー族の話す言葉はアパッチーに対しで30%は通じる。他の70%はダンスによった。ところがズーニーの言葉は100%他の種族には通じない。
3. 南米のインディオと異なりインディアンは農耕をまったく知らなかったが、ズーニーだけはコーンの栽培を知っていた。この点彼らは農耕民族である。
4. 争いを好まず、他の種族特に好戦的なアパッチーやナバホとの交渉を意識的に避けてきた。部族内では和の精神を大切にしている。一方、積極性と自己主張に欠ける恨みがある。
5. 儀式が好きで、動物の超能力を信ずる。
6. 他のインディアンと異なり男がマスクを着けてダンスする。
7. 世界的なマラソン走者を輩出している。
だが読んだ本の中でズーニーが日本人の末裔であるという記述はなかった。インディアンの居留区には彼らの政府、憲法、法律がある。ズーニーもその例外ではない。ただズーニー政府は非常に保守的でカメラ、ビデオの持ち込みを許さず、風景をスケッチしたり村を散歩するにも許可がいる。本年春にはズーニー族の町を訪問する予定だが、事前にズーニー政府に連絡して、当方の目的を告げ、極力協力してもらうつもりでいる。
古枯の木―在米35年、歴史愛好家、著書に『ゴールドラッシュ物語』『アメリカ意外史』など)
古枯の木
Japanese Indians
去年の秋、アリゾナ州のインディアン居留区(reservation)の一つを訪問した。そのときある店のインディアンの老婆からニューメキシコ州に自他共に日本人の末裔であるといわれるインディアンの存在することを教えられた。このインディアンをズーニー(Zuni)と呼ぶ。ズーニーはGallupという人口2万人の比較的大きな町の南方35マイルの地点におり、人口は6千人。部族の団結力が強く、男性は非常に勤勉で他のインディアンとは異なり酒は飲まないという。女性は日本人と同様手先が大変器用で彼女らが葦を材料に織るバスケットは水を漏らさぬというし、彼女らの作る銀とトルコ石の装身具は日本的に極めて精巧で他のインディアンの追随を許さぬそうだ。値引きは絶対に不可能とのこと。日本人がアリューシャン列島やアラスカを経由してアメリカにやって来たという説があるが、こんなに具体的にJapanese Indians の存在を聞かされたのは初めてでこれも一つのドッキリだった。
早速図書館に行き、ズーニーインディアンの特色を調査した。次にそれを箇条書きにするが果たして日本人との共通点はあるだろうか。
1. 太陽を神を崇め、酋長が絶対的権力を有する。
2. ズーニーは孤立性が極めて強く、その言語は他の種族の言語とまったく類似性がない。インディアンに共通語は存在しないが、それでも例えばホッピー族の話す言葉はアパッチーに対しで30%は通じる。他の70%はダンスによった。ところがズーニーの言葉は100%他の種族には通じない。
3. 南米のインディオと異なりインディアンは農耕をまったく知らなかったが、ズーニーだけはコーンの栽培を知っていた。この点彼らは農耕民族である。
4. 争いを好まず、他の種族特に好戦的なアパッチーやナバホとの交渉を意識的に避けてきた。部族内では和の精神を大切にしている。一方、積極性と自己主張に欠ける恨みがある。
5. 儀式が好きで、動物の超能力を信ずる。
6. 他のインディアンと異なり男がマスクを着けてダンスする。
7. 世界的なマラソン走者を輩出している。
だが読んだ本の中でズーニーが日本人の末裔であるという記述はなかった。インディアンの居留区には彼らの政府、憲法、法律がある。ズーニーもその例外ではない。ただズーニー政府は非常に保守的でカメラ、ビデオの持ち込みを許さず、風景をスケッチしたり村を散歩するにも許可がいる。本年春にはズーニー族の町を訪問する予定だが、事前にズーニー政府に連絡して、当方の目的を告げ、極力協力してもらうつもりでいる。
古枯の木―在米35年、歴史愛好家、著書に『ゴールドラッシュ物語』『アメリカ意外史』など)
アメリカドッキリ物語 6
アメリカ・ドッキリ物語 (6)
古枯の木
バンザイ、バンザイ
筆者の家の近くに“こぐま幼稚園”と呼ばれる小さな幼稚園がある。この幼稚園は日本人や日系人の子弟だけではなく白人や黒人の子供も受け入れている。今年のイースターの休み中にこの幼稚園の運動会があり、孫の一人かここに通園しているのでそれを見に行った。
園児が赤白に分かれてする競技が多かったが勝ち組が勝つたびに大声で“バンザイ、バンザイ”と連呼しでいた。先生や見学に来た父親、母親もそれに和していた。みんなそれを当然のことのように行っていた。ところが筆者の横に座っていた80歳ぐらいの白人の男がこの光景を見て筆者につぶやくようにしかも皮肉を込めて“日本人はまだ戦争をしているのか”と言った。バンザイと戦争―最初はこのこのことにまごつきさらにドッキリと肝を冷やしたが白人の男と話すうちにそのなぞが解けた。
バンザイは太平洋戦争中のバンザイ突撃と関係がある。バンザイ突撃は身を殺して国を救う崇高な犠牲的精神の発露でありまた生還を期せざる者の悲壮な肉弾戦であった。バンザイ突撃が有名になったのは1944年7月7日未明サイパン島北部のマッピ山に追い詰められた5千の日本兵が行った玉砕作戦である、これは今日でも多数のアメリカ人が知っている。アメリカでは帝国陸軍を“戦争の下手な残虐な素人集団”(cruel amateurs)と侮蔑していたが、帝国陸軍が実施した戦術の中で一番愚劣でしかも乱暴な蛮行がバンザイ突撃であると信じている。筆者は隣の白人の老人にバンザイは戦争とは関係なく、単に喜びの歓声であると説明したが、彼がどれほど理解できたかは分からぬ。手元にあるThe American Heritage Dictionaryを開くと“バンザイとは日本軍による戦争中の雄叫び”としか書いてない。どうもバンザイという言葉はアメリカ人には不快感を与えるようだ。
古枯の木―在米35年以上、歴史愛好家。著書に”日本敗れたり“など。
古枯の木
バンザイ、バンザイ
筆者の家の近くに“こぐま幼稚園”と呼ばれる小さな幼稚園がある。この幼稚園は日本人や日系人の子弟だけではなく白人や黒人の子供も受け入れている。今年のイースターの休み中にこの幼稚園の運動会があり、孫の一人かここに通園しているのでそれを見に行った。
園児が赤白に分かれてする競技が多かったが勝ち組が勝つたびに大声で“バンザイ、バンザイ”と連呼しでいた。先生や見学に来た父親、母親もそれに和していた。みんなそれを当然のことのように行っていた。ところが筆者の横に座っていた80歳ぐらいの白人の男がこの光景を見て筆者につぶやくようにしかも皮肉を込めて“日本人はまだ戦争をしているのか”と言った。バンザイと戦争―最初はこのこのことにまごつきさらにドッキリと肝を冷やしたが白人の男と話すうちにそのなぞが解けた。
バンザイは太平洋戦争中のバンザイ突撃と関係がある。バンザイ突撃は身を殺して国を救う崇高な犠牲的精神の発露でありまた生還を期せざる者の悲壮な肉弾戦であった。バンザイ突撃が有名になったのは1944年7月7日未明サイパン島北部のマッピ山に追い詰められた5千の日本兵が行った玉砕作戦である、これは今日でも多数のアメリカ人が知っている。アメリカでは帝国陸軍を“戦争の下手な残虐な素人集団”(cruel amateurs)と侮蔑していたが、帝国陸軍が実施した戦術の中で一番愚劣でしかも乱暴な蛮行がバンザイ突撃であると信じている。筆者は隣の白人の老人にバンザイは戦争とは関係なく、単に喜びの歓声であると説明したが、彼がどれほど理解できたかは分からぬ。手元にあるThe American Heritage Dictionaryを開くと“バンザイとは日本軍による戦争中の雄叫び”としか書いてない。どうもバンザイという言葉はアメリカ人には不快感を与えるようだ。
古枯の木―在米35年以上、歴史愛好家。著書に”日本敗れたり“など。
アメリカドッキリ物語 5
アメリカ・ドッキリ物語 (5)
古枯の木
礼は1回で充分
空港や駅で日本人同士が“どうも、どうも”と言いながら、何度も礼を繰り返す光景をよく目にする。中には最初から終わりまで礼をしている人もいる。あるときこれを見たアメリカ人が、“日本人が礼をするのはアメリカ人が握手をするのと同じだと思う。だがなぜ日本人同士は何度も礼をするのか。アメリカ人は1度しか握手しない”と訊いてきた。日本人でありながらそれまで長く気の付かなかった点であり、アメリカ人に指摘されて驚いた次第である。それ以来注意しているが確かにアメリカ人が何度も握手を繰り返すことは見たことがない。
このとき以来筆者は礼は1回で充分であり、常に1回しかしないことにしている。ついでながら日本人で握手するとき、同時に礼をする人があるが、これはやめたほうがいいい。握手すろときは相手の目をじっくり見るべきだ。
古枯の木―在米35年、歴史愛好家、著書に『日本敗れたり』『ゴールドラッシュ物語』など)
古枯の木
礼は1回で充分
空港や駅で日本人同士が“どうも、どうも”と言いながら、何度も礼を繰り返す光景をよく目にする。中には最初から終わりまで礼をしている人もいる。あるときこれを見たアメリカ人が、“日本人が礼をするのはアメリカ人が握手をするのと同じだと思う。だがなぜ日本人同士は何度も礼をするのか。アメリカ人は1度しか握手しない”と訊いてきた。日本人でありながらそれまで長く気の付かなかった点であり、アメリカ人に指摘されて驚いた次第である。それ以来注意しているが確かにアメリカ人が何度も握手を繰り返すことは見たことがない。
このとき以来筆者は礼は1回で充分であり、常に1回しかしないことにしている。ついでながら日本人で握手するとき、同時に礼をする人があるが、これはやめたほうがいいい。握手すろときは相手の目をじっくり見るべきだ。
古枯の木―在米35年、歴史愛好家、著書に『日本敗れたり』『ゴールドラッシュ物語』など)
アメリカドッキリ物語 4
アメリカ・ドッキリ物語 (4)
古枯の木
帝国海軍はチキンだった
まだ現役で働いていた30代後半頃の話である。ニューメキシコ州のアルバカーキーに出張した。目的は新たに任命した代理店との間に代理店契約を締結することだった。事前の調査によりその代理店のCEOが米海軍の元提督であることが分かっていた。会ったその提督は眼光鋭く、小柄ながらしっかりと引き締まった体をしており、全身精気に満ち溢れ若々しかった。代理店契約書について2-3質問を受けた後、サインしてくれランチに招待された。
ランチがほぼ終わったとき、筆者から帝国海軍の戦いぶりについて彼の意見を求めた。こちらとしては、帝国海軍が劣悪な条件下にあっても善戦したとの回答ぐらいが返ってくることを期待していた。だがその期待はまったく裏切られた。彼は帝国海軍がチキンだと言ったのだ。チキンとは臆病者を意味する。勇敢なる帝国海軍を信じていた筆者にはこれはドッキリだった。チキンであったことの具体例をいろいろ説明してくれたが、あと一押しすれば完勝できたものをねばりがなく早々に引き揚げてしまったと言う。以下に述べる3つの例が今も強く印象に残っている。
真珠湾攻撃のとき帝国海軍は旧型の戦艦5隻を沈没させさらに13隻に損傷を与えたが真珠湾に隣接する巨大な石油貯蔵庫、潜水艦基地、海軍工廠、艦船修理所などは無傷だった。さらに近くの海域にいた敵の正式航空母艦4隻の索敵さえも実施せずにサット引き揚げた。この貪欲なきあっさりした行為が提督にはチキンと映ったらしい。一方帝国海軍に言わせれば深追いしないのがその伝統であるということになるであろうが。
第2の指摘は帝国海軍が持てるものを臆病のため最大限利用しなかったことである。帝国海軍は戦艦大和と武蔵をトラック島の泊地に繋留していた。この2戦艦が水兵のホテル代わりに利用されていたことを米海軍は知っており、これらの戦艦を大和ホテール、武蔵リョカンと呼んでいた。大鑑巨砲の時代が去り、航空兵力中心の時代であったが、これら戦艦を艦隊決戦用ではなく、コンボイ(輸送船団)の護送に使用していれば相当の戦果を挙げられたはずであるとの説明だった。最高速度が20ノットという足の遅い戦艦だったが、輸送船の速度もそれぐらいだった。彼によれば臆病風に吹かれてこれら2戦艦をみすみす無意味に温存したことになる。乾坤一擲の勝負に出ようとするアメリカとあくまで艦隊保全主義を信奉する山本の連合艦隊では勝敗は戦う前から明らかであったかもしれない。因みにドイツ民族の最大のプライドであった戦艦ビスマルクは艦隊決戦用ではなくて,敵のコンボイ撃滅用の戦艦だった。ドイツ贔屓の日本帝国がなぜドイツに学ばなかったのか不思議に思う。
なお余談ながらアメリカ海軍は山本五十六がトッラク島にいることを知っていた。山本を殺すべきか生かしておくべきかが一時米海軍部内で議論の対象になったと聞いた。生かしておくべき理由は連合国の早期講和の呼びかけに応じられる者が彼以外にいなかったためである。そのインテリジェンスと深謀遠慮にはまたもドッキリした。
また発想を転換して戦艦郡を艦隊決戦用ではなくてアメリカ陸軍基地の砲撃に使用したならば相当の効果を挙げえたはずであるとも彼は述べた。発想の転換ができないのもチキンであることの証拠か。
最後の例はレイテ湾の栗田艦隊である。1944秋、フィッリッピンのシブヤン海に進撃した栗田艦隊が1週間前にレイテ湾で荷揚げ作業を始めたマッカーサーの輸送船団を2-3時間の眼前に見ながらこれを攻撃せず、栗田の臆病のため反転北上した事実である。後に栗田はそのとき余りにも疲れていたと説明している。滅多に訪れないチャンスを疲れのために生かせぬようではチキンということになるかもしれない。
彼の説明した上記3例が果たして帝国海軍の臆病のためだったのかまたは別に戦略上の理由があったかは定かでない。でも帝国海軍が千載一遇の好機を逸したことは間違いなかろう。
古枯の木―在米35年、歴史愛好家、著書に『日本敗れたり』『アメリカ意外史』など)
古枯の木
帝国海軍はチキンだった
まだ現役で働いていた30代後半頃の話である。ニューメキシコ州のアルバカーキーに出張した。目的は新たに任命した代理店との間に代理店契約を締結することだった。事前の調査によりその代理店のCEOが米海軍の元提督であることが分かっていた。会ったその提督は眼光鋭く、小柄ながらしっかりと引き締まった体をしており、全身精気に満ち溢れ若々しかった。代理店契約書について2-3質問を受けた後、サインしてくれランチに招待された。
ランチがほぼ終わったとき、筆者から帝国海軍の戦いぶりについて彼の意見を求めた。こちらとしては、帝国海軍が劣悪な条件下にあっても善戦したとの回答ぐらいが返ってくることを期待していた。だがその期待はまったく裏切られた。彼は帝国海軍がチキンだと言ったのだ。チキンとは臆病者を意味する。勇敢なる帝国海軍を信じていた筆者にはこれはドッキリだった。チキンであったことの具体例をいろいろ説明してくれたが、あと一押しすれば完勝できたものをねばりがなく早々に引き揚げてしまったと言う。以下に述べる3つの例が今も強く印象に残っている。
真珠湾攻撃のとき帝国海軍は旧型の戦艦5隻を沈没させさらに13隻に損傷を与えたが真珠湾に隣接する巨大な石油貯蔵庫、潜水艦基地、海軍工廠、艦船修理所などは無傷だった。さらに近くの海域にいた敵の正式航空母艦4隻の索敵さえも実施せずにサット引き揚げた。この貪欲なきあっさりした行為が提督にはチキンと映ったらしい。一方帝国海軍に言わせれば深追いしないのがその伝統であるということになるであろうが。
第2の指摘は帝国海軍が持てるものを臆病のため最大限利用しなかったことである。帝国海軍は戦艦大和と武蔵をトラック島の泊地に繋留していた。この2戦艦が水兵のホテル代わりに利用されていたことを米海軍は知っており、これらの戦艦を大和ホテール、武蔵リョカンと呼んでいた。大鑑巨砲の時代が去り、航空兵力中心の時代であったが、これら戦艦を艦隊決戦用ではなく、コンボイ(輸送船団)の護送に使用していれば相当の戦果を挙げられたはずであるとの説明だった。最高速度が20ノットという足の遅い戦艦だったが、輸送船の速度もそれぐらいだった。彼によれば臆病風に吹かれてこれら2戦艦をみすみす無意味に温存したことになる。乾坤一擲の勝負に出ようとするアメリカとあくまで艦隊保全主義を信奉する山本の連合艦隊では勝敗は戦う前から明らかであったかもしれない。因みにドイツ民族の最大のプライドであった戦艦ビスマルクは艦隊決戦用ではなくて,敵のコンボイ撃滅用の戦艦だった。ドイツ贔屓の日本帝国がなぜドイツに学ばなかったのか不思議に思う。
なお余談ながらアメリカ海軍は山本五十六がトッラク島にいることを知っていた。山本を殺すべきか生かしておくべきかが一時米海軍部内で議論の対象になったと聞いた。生かしておくべき理由は連合国の早期講和の呼びかけに応じられる者が彼以外にいなかったためである。そのインテリジェンスと深謀遠慮にはまたもドッキリした。
また発想を転換して戦艦郡を艦隊決戦用ではなくてアメリカ陸軍基地の砲撃に使用したならば相当の効果を挙げえたはずであるとも彼は述べた。発想の転換ができないのもチキンであることの証拠か。
最後の例はレイテ湾の栗田艦隊である。1944秋、フィッリッピンのシブヤン海に進撃した栗田艦隊が1週間前にレイテ湾で荷揚げ作業を始めたマッカーサーの輸送船団を2-3時間の眼前に見ながらこれを攻撃せず、栗田の臆病のため反転北上した事実である。後に栗田はそのとき余りにも疲れていたと説明している。滅多に訪れないチャンスを疲れのために生かせぬようではチキンということになるかもしれない。
彼の説明した上記3例が果たして帝国海軍の臆病のためだったのかまたは別に戦略上の理由があったかは定かでない。でも帝国海軍が千載一遇の好機を逸したことは間違いなかろう。
古枯の木―在米35年、歴史愛好家、著書に『日本敗れたり』『アメリカ意外史』など)
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