三つの墓参
2010年4月15日から5月13日まで訪日したが、この間に三つの墓に詣でた。第一回目は4月24日の午後、新潟県長岡市の禅寺の長興寺にある山本五十六の墓。4月18日が彼の命日であるためか墓にはフレッシュな花がそえられていた。古枯の木は霊感が強い方ではないが、このときは対米戦争に反対しながら、その戦争に巻き込まれていった彼の無念さがひしひしと感じられた。
第二回目は愛知県新城市長篠にある長篠古戦場。JR飯田線の三河東郷駅から歩いて北に20分ぐらいのところにある。訪問日は4月28日夕方。ここは1576年6月29日、武田勝頼の騎馬軍団が織田・徳川連合軍の鉄砲隊に完膚なきまでに打ちのめされたところである。近くを流れる連吾川に沿って作られた馬防柵は大変印象的だった。多分武田軍のものと思われる無名戦士の小さな石造の墓が暗い森の中に無数にあった。そのうちの数個の墓に詣でたが、無能な総大将にたいする彼らの恨みが強く伝わってきた。
第三回目は5月1日午後2時ごろ。94歳で亡くなった義母の納骨の日。快晴。天寿を全うしたわけだから、坊主を含めて全員が陽気だった。いろいろなジョークも飛び出た。去年5月に訪問したルーマニアには“陽気な墓地”というものがあり、墓碑銘にはずいぶん楽しいことが書かれていると聞いた。ルーマニア人は葬式が遊びのきっかけになると信じているとも伝えられた。
古枯の木―2010年6月29日記す
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