ドイツ人と日本人の戦争観
よく日本人とドイツ人との類似点が指摘される。一般的には両者は勤勉で、几帳面であり、がまん強く、個人の利益よりも団体の利益を重んじ、団体内の調和を心がけるなどといわれている。だが両者の戦争観には月とスッポンほどの違いがある。
学生時代、学習院大学の教授で今の天皇の皇太子時代に彼の家庭教師をしていたイギリス人ブライス博士の話を聞いたことがある。博士は第二次大戦中の日独人の戦争観の相違につき概要次のように説明した。
1. 日本人はムードに弱く“戦争に勝った、勝つぞ”といって自己陶酔に陥り、集団催眠にかかったように浮かれていたが、ドイツ人は戦争(war)ではなく特定の戦闘(battle)に勝てるかどうかを冷静にしかも第三者的に観察をしていた。その点で日本人に比しドイツ人はさめた目を持っていたといえる。
2. 日本では戦時中“贅沢は敵だ”とのモットーによりパーマネントや華美な服装は禁止され質素な生活が強制された。パーマネントをした都会の女性を見ると“ツバメの巣の髪型”とののしって石を投げる不逞の輩もいた。だがドイツの若者は“青春は短い。戦争によりこれはもっと短くなるかもしれない。命あるる内に青春を大いに楽しもう”といって仕事が終わると毎晩着飾ってダンスに出かけた。
3. 狭い潜水艦に勤務する者の苦労は大変なものである。勤務が一度終了すると日本では乗組員を熱海の料亭に集め、一晩食えや飲めやの大宴会を催した。ところがドイツの潜水艦がはるばるドイツからシンガポールや呉に到着すると乗組員たちは到着の翌朝から将来のさらなる困難に耐え体力作りのためにテニスに精を出した。
4. 日本人は召集令状が来ると自分は戦争に行きたくないが、反抗もできないのでしぶしぶ応召した。他人が徴兵されるのには大賛成だが、自分や身内の者が戦地へ行くのを嫌悪した。だがドイツ人は招集礼状にたいし、自分も第三帝国の建設に参加できることを大きな誇りとして応召した。親もまた喜んで息子を送り出した。これは日独人の間の越ゆべからざる政治哲学の相違だ。
日本人とドイツじんでは宗教、文化、言語、歴史、体格、皮膚の色などで共通点は皆無だ。中でももっとも大きな相違点は上述アイテム4の政治哲学ではないだろうか。
古枯の木――2009年7月23日記す。
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