癒着体質の日本社会
最近、1939年5月11日(12日との説もある)に始まったノモンハン事件の研究、調査をしている。この事件で近代化の遅れた日本陸軍はソ連戦車部隊により大打撃を受け、大敗北を喫した。日本陸軍の責任者は関東軍作戦参謀の服部卓四郎と作戦主任の辻政信。事件は8月いっぱいでほぼ終わり、9月15日、後にソ連の国防相となるジュウコフ中将との間に停戦協定が結ばれた。40年1月“ノモンハン事件研究委員会”が設置され、春ごろ報告書が完成した。ところがこれが発表されるまえに要点はぼかされ、真実は曲げられ、余計な文章が挿入されて精神主義を強調したおかしなものになってしまった。おそらく委員会のメンバーと服部や辻を助けたいと思うグループが癒着した結果であろう。
2005年の尼崎JR線脱線事故で国土交通事故調査委員会が最終報告案を守秘義務に違反して正式発表まえに一部の関係者に漏らしていた。最終報告書が改ざんされたか、または余分な文章が入れられたかは未だ定かではないが、委員会と一部関係者の間には公共の利益を無視してお互いに助けたいという癒着の念が存在したのであろう。
日本の社会や日本人の精神構造はノモンハン事件のころから余り進歩していないように思われる。
古枯の木――2009年9月27日
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