カーさんのこと
古枯の木
昨年9月文窓会東海支部ホームページのエッセイの部に“太平洋戦争と日系人の苦悩”を寄稿した。その中でコロラド州の知事であったラルフ・カー(Ralph Carr)について触れたが、昨年9月コロラド州コロラド・スプリングズのジョン・万次郎大会に出席し、その際カーゆかりの地を訪問する機会があったので、改めて彼について説明したい。
開戦翌年の1942年2月19日夕刻ルーズベルト大統領の発した行政命令9066によりアメリカ西海岸の日系人は敵性外国人(enemy alien)と見做され強制収容所に入れられることとなった。この命令がまったく突然であったため日系社会には大混乱が発生した。だがコロラド州の知事であったカーは人道的見地からこの命令に強く反対し、コロラドの日系人は全員が収容所入りを免れた。カーはさらに日系人のコロラドへの移住を許可したがこれが州民の反発を招き、日系人反対の大デモに発展した。“ジャップを太平洋にぶち込め”“ジャップを殺せ”というスローガンまで現れた。このときカーは毅然としてデモ隊に対し、“日系人も合衆国憲法によって基本的人権は保障されている。彼らのその権利を侵す者があれば断固処罰する”とまで宣言してくれた。
西部の諸州では日系人の収容所をどこに設けるかが大問題となった。広いカリフォルニア州でも“ジャップのdump siteは2ヵ所まで”と言って2ヵ所以上の設置を承認しなかった。南カリフォルニアではマンザナールに、北カリフォルニアではチュールレイクである。Dump siteとはごみ捨て場のことで、日系人はごみ扱いされていたのだ。オレゴン州、ワシントン州、ネバダ州は収容所の建設を一切認めなかった。これを聞いてカーは直ちにコロラド州に強制収容所を設けることを決意し、州南東部のアマチ(現在名グラナダ)にそれが建設された。定員7,318人のところに他州から来た日系人が多いときは7千6百人も住んでいた。アマチ収容所は42年8月27日にオープンし、45年10月15日にクローズされたが日系人はかなり快適に過ごしたらしい。コロラドの日系人からメロンなどの差し入れもときどきなされた。昨年9月コロラドを訪問したときこの収容所を見たいと思ったが、時間がなくて実現しなかった。ある人が現在収容所の跡を示すものが何もないため、たとえ行ってもその場所は発見できないだろうと教えてくれた。
強制収容所はアマチのものも含めて全米で10ヵ所に作られ12万人の日系人が収容された。これら日系人はルーズベルトの命令により、家、農園、自由、権利、職業、商売などのすべてを失ってしまったのだ。
これに反し太平洋戦争中コロラドの日系人は安全に農業に従事することができ、コロラドの農業生産に大いに貢献した。昨年9月のエッセイで述べたように彼らが受けた唯一の制約は自宅から2マイル以上離れるときは事前にFBIに知らせるということだけだった。コロラドにはメロン王と呼ばれる日系人が数人いる。その内の一人の農場を訪問する機会があったが、メロン栽培は戦前から始め、戦中は何の妨害を受けることなく栽培を継続することがきたそうである。
日系人に寛容であり過ぎるとしてカーはコロラド州民の間では不人気だった。上院議員に立候補したが気の毒にも落選してしまった。カーは上院議員を経て大統領になるべき器量のある政治家だったと述べたアメリカ人もいた。
ジョン・万次郎大会の折にロッキーフォードという町の近くのクラウリー・ヘリテージ・センターを訪問した。これは日系人のコロラド開拓の歴史とカーの偉大さを伝えるための博物館である。コロラドの日系人がいかにカーの良識と勇気ある決断に感謝していたかがよく分かる。見学のあと地元の日系人とアメリカ人からセンター内でおいしいローストビーフとメロンの昼食が提供された。ある白人の女性はカーは冷徹な理性の持ち主だったと言い、また他の女性はカーの演説をラジオで聞いたが、その内容は分かりやすく、その声はいつも溌剌としていたと語った。彼こそはコロラドの歴史上最も信頼しうる(most reliable)知事であったと教えてくれた人もいた。年老いた二世たちは今日あるはカーのおかげだと断言し、彼を親しみを込めて“カーさん”“カーさん”と呼んでいた。
日系人が“さん”付けで呼ぶもう一人のアメリカ人政治家がいる。それは排日法の撤廃を含めて日系人の地位の向上に尽力してくれた元大統領の“ケネディーさん”である。
古枯の木。一橋大学大学院修了のあとアメリカで勤務。フロリダ州西フロリダ大学、オレゴン州ウイラメット大学などで講師。著書に“日本敗れたり”など。ロスに永住の予定。
興味深く読みました。太平洋戦争時日系人が12万人いたことは驚きです。収容所生活は悲惨だったと本や映画に描かれていますがコロラドのような所もあったのですね。カーさんの話又書いて下さい。ケネデイーさんが日系人の恩人とは知りませんでした。
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