朝日新聞の反米主義
朝日新聞は戦前、戦中、戦後を通じて反米主義で凝り固まっているといわれる。古枯の木が大学生のころは朝日の全盛期で、多くの学生は朝日に毒されて明日にでも共産革命が日本にも起こると信じていた。朝日はソ連、中国のことならなんでも主体性無く、無条件に礼拝し、対ソ中追従を繰り返していた。朝日はソ連、中国の真実の姿を伝えず、その幼児性と未熟性にはいつも辟易としていた。
戦争中は聖戦という美名の下に戦争を賛美して世の善男善女を騙し続けた。陸軍や海軍の野望の下に大東亜共栄圏の建設に助力した。朝日もまた他の日本のマスコミ同様アメリカ、イギリスを鬼畜米英と呼んではばからなかった。
ここで一つ戦前の朝日の反米主義を紹介したい。日本の軍閥政府はドイツと結んでアメリカを牽制しようとした。ドイツの特使スターマーの口車に乗せられた結果、松岡洋介外相が中心となって1940年9月27日午後1時15分ベルリンで日独伊三国同盟を締結してしまった。この三国同盟が日本を英米に反対する陣営に投げ込み、やがて太平洋戦争へと発展していくのである。だがこの同盟が締結されたときの朝日の東京における狂喜ぶりはすさまじい。同じ日、朝日は“いまぞ成れり歴史の誓い”という見出しで“決意を眉中に浮かべて、幾度かバンザイを唱えて誓いの盃をあげる日独伊三国の世界史を創る人々”として満面に喜びをたたえる松岡洋介、オットードイツ大使、インデリルイタリア大使らを紹介している。
松岡洋介は太平洋戦争を引き起こした者として東条英機や近衛文麿とともに万死に値する。同じ理由で朝日も万死に値すると確信する。
古枯の木―2010年9月2日記す。
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