2010年1月19日火曜日

古枯の木の考える3人のA級戦犯

古枯の木の考える3人のA級戦犯

 日本を戦争の奈落に陥れた3人の男を指名せよといわれたら古枯の木は躊躇なく東条英機、松岡洋介それに近衛文麿を挙げる。東条や松岡にはなんら確固たる政治的見識はなく、政治家に必要な狡猾な怜悧さなどまったく欠如していた。両者に共通にあるものは近視眼的なものの見方と虚栄心、権力欲であった。松岡は自分が世界の大政治家と錯覚したが、所詮一代の煽動政治屋に過ぎなかった。時勢に便乗して世界を驚かせようとしただけだ。東条に至っては知性を欠き剣をぶら下げた一介の武弁でしかなかった。東条の性格を研究し、夫人の勝子さんに何度もインタビューしたあるアメリカの学者は彼を評して“単純で知性が乏しく権力に憧れる男だが日本の政治屋のように悪いことはしなかったであろう”と結んでいる。愚直で中級官吏程度の頭脳の持ち主であったろう。
 近衛については日本人の間に大きな誤解がある。最近、工藤美代子が“われ巣鴨に出頭せず”という題名の小説を出版してから、近衛が平和主義者、対米協調主義者などであるという誤った考えが蔓延しているようだ。この本は近衛の一生を描いた伝記小説であるが近衛を必要以上に美化している。歴史家はあくまで真実を追及しなければならないが、少説家は販売部数を増やすためにあること無いことを面白おかしく書く。阿川弘之の“山本五十六”、広田弘毅を描いた城山三郎の“落日燃ゆ”などは主人公の一面のみを強調し、マイナスの部分の説明を省略している。
 さて近衛の罪状について触れよう。近衛は第一次近衛内閣から第三次近衛内閣まで3度も総理大臣を経験している。第一次近衛内閣は1937年7月7日北京郊外・盧溝橋で軍事衝突が発生して一カ月後に成立したが、近衛は優柔不断で変節甚だしく、その中国政策は二転三転した。38年1月軽率にも“爾後国民政府を相手にせず”との声明を内外に発するという大失態を演じてしまったのだ。そもそもいったん国家承認を与えたものを一方的に撤回するのは重大な国際法違反である。いずれにせよ支那事変を外交的に解決するための道は閉ざされてしまったのである。近衛はさらに38年11月、12月にいわゆる“近衛3原則”発したが日本軍の駐屯を要求するものであったため支那政府の受諾するものとはならなかった。かくしてますます支那事変に深入りして進退両難に陥ってしまった。
40年7月22日第2次近衛内閣が成立し、東条が陸相に、松岡が外相に迎えられた。これら新人の無謀な冒険により、わが国は救うべからざる大破局、深淵に突き落とされていった。当時、日本は米英支ソ連の包囲網の中にあり、ドイツと結んでアメリカを牽制すべしとの意見が陸軍から出てきた。その結果、定見なき近衛と松岡はドイツのスターマー特使の口車に乗せられて、ついに9月27日運命的な3国同盟に調印してしまった。近衛の最大の罪はここにある。
 独伊は確かにヨーロッパの強国であるが、極東では無力の存在であり、彼らと同盟してもなんら実質的援助は期待できなかったのだ。さらに重大なことに3国同盟は日本を米英に反対する枢軸陣営に投げ込んでしまったのである。一朝にしてわが国は米英の敵国になったのである。国が右するか左するかの重大な時期に近衛や松岡ごときが局にあったことはわが国にこの上なき不運であった。日本にはビスマルクのような達見達識の士は一人もいなかったのである。
 近衛は3国同盟は対米英戦のためではなく、反対に米国の参戦を阻止することが目的であったとしてつまらぬ自己弁護をしている。だがすでにそのときアメリカは連合軍側の最高指導者であり、ドイツ打倒を決めていた。このとき3国同盟ぐらいでアメリカを牽制できるわけがない。3国同盟は結局近衛の大きな誤算であった。
 41年7月近衛は南進の歩武を進め南部仏印に進駐した。これに対し米英蘭の諸国は全面的経済断交を通告した。日米交渉中、米の試案に譲歩しようとする近衛とこれを排撃しようとする松岡との間に意見の衝突があり、松岡の退陣を強要するため7月16日近衛内閣は総辞職した。7月18日第3次近衛内閣が成立した。近衛は8月28日ルーズベルトに“太平洋会談”を申し入れたがアメリカ側は近衛の人物と手腕に信頼をおかず、結局これは実現しなかった。
 支那大陸からの撤兵を要求するアメリカに対し近衛は妥協できず、10月16日退陣し、18日いよいよ東条内閣が登場するのである。
 近衛、東条、松岡のような無知無能、無定見、無謀、不条理、傲岸不遜の人間にわが国の運命がもてあそばれた。遠大な政治的見識や政策を持たないこれら佞姦(ねいかん)がわが国の進路を誤ったのだ。わが国を真に悲劇のどん底に陥れ、国民に塗炭の苦しみを与えたこれら3人こそがA級戦犯であり、彼らは万死に値すると古枯の木は考える。
古枯の木

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