三つ子の魂
よく世間では三つ子の魂百までという。これは持って生まれた性質が年をとっても変わらないことを意味するであろう。性質ではないが年をとっても変わらない慣行が古枯の木には沢山あると思う。今日はそのうちの二つについて説明したい。
古枯の木の母のいとこで旧陸軍で大変出世した人がいた。家が貧しく小学校を卒業すると名古屋の呉服屋に小僧にだされるところだった。ところが彼の才能を惜しんだ小学校の先生が父親に金のかからぬ幼年学校に進学させるよう勧めた。彼は幼年学校、陸軍士官学区、陸軍大学と順調に進学し、日中戦争、太平洋戦争に従軍し、最後は名古屋師団の師団長を勤めた。このおじさんが少年の頃、父親に小銭がたまると年に2-3回、魚のあらを買いに走ったそうだ。そのあらのうまかったことを生涯忘れることができなかったとよく古枯の木に語ってくれた。わが家では平均して月1回あらを買って食べることにしている。でもなぜあらを買うかの説明は子供たちにはしていないと思う。
子供の頃の食料事情は戦争のため非常に惨めだった。中学1年生のとき勤労動員で工場で働いていた。工員や兵隊たちの残飯をあさるのでわれわれは残飯学生と呼ばれていた。先生は残飯をあさるなと言ったが聞く者は一人もいなかった。残飯学生はどこにうまいものがあるかをよく知っていた。それは将校食堂の横の残飯の捨て場だった。一般の工員、兵士たちはろくなものを食べていなかったが、将校たちはてんぷら、カツどん、焼き魚、うどんなどを食べていた。それは食堂から発する匂いで分かった。このときあさって食べたえびの尻尾のうまかったことをいまでも覚えている。こんなにうまいものがこの世の中にあるかと思ったぐらいだ。そのためいまでもてんぷらまたはフライにしたえびの尻尾は残さず食べることにしている。孫をレストランに連れて行き、古枯の木がえびの尻尾を食べるとき彼らは不思議そうな眼でみている。孫にその理由を説明することは多分ないだろう。
古枯の木
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