2010年1月28日木曜日

声なき声に耳を傾けよ

声なき声に耳を傾けよ

 これは50年前の安保改定騒動のとき、当時の総理大臣、岸信介の発した言葉である。その頃、日本中が安保反対の波に覆われていた。岸の孫の安倍晋三(後に総理大臣)はまだ5歳だったが部屋の中を“アンポハンタイ”と叫びながら走り廻っていたという。全学連の学生たちが国会前で警官隊と衝突し、東大生の樺美智子が圧死したが、マスコミは彼女を日本のジャンヌダルクだとして賛美し美化して英雄扱いにした。
 マスコミは安保改定反対を叫び、日本中が反対の波に呑まれでいた。日本人はムードに弱く、全国民が自己陶酔と催眠術に陥り、雪崩を打って訳もわからず付和雷同して安保反対を叫んでいた。でも改定に賛成する学者たちもたくさんいた。彼らは現実を直視し、自主的に安保賛成を唱えていたのである。賛成派の代表は京大の猪木正道であり、早大、明大、大東文化大、国学院大にも賛成の学者はいた。だが問題は彼らにはマスコミからなかなか発言の機会が与えられなかったことである。岸の“声なき声に耳を傾けよ”の言葉はかかる事情のもと発せられたのであろう。
 それにしても安保改定の衝に当った岸と一部の自民党議員の態度は立派だった。彼らは自己の主張を堂々と述べ変節することはなかった。岸は1960年3月19日、ワシントンでアイゼンハワー大統領と一緒に新安保条約に調印し、国会の批准も強気の姿勢で押し通した。
 岸が60年11月20日に退陣する頃から安保反対の波は潮が引くように消えていった。あれほど騒いだ安保反対とは何だったのか。マスコミは安保反対を他人事として省みなかった。古枯の木は日本人の持つ軽薄さ、付和雷同性、移り気な乙女気質に日本人の最大の欠点の一つを見出すのである。
古枯の木

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