淡白な日本外交
日本外交の一特色は粘りが無く淡白で駆け引きに劣ることである。それは謹厳実直で律儀な職人国家の外交といえるかもしれない。幼稚さも目立つ。特に戦後は対アメリカ屈従外交で全く自立性と主体性に欠ける。
一例を挙げよう。日米地位協定は非常に不平等な条約である。基地の管理、利用は一方的にアメリカ軍に任せられている。NATOの下の英仏の基地は米軍との共同管理、共同利用である。少なくとも日本はNATO並みのレベルにまで引き揚げるよう米側に働きかけるべきであった。
ところが1978年当時の防衛庁長官であった金丸信は“思いやり予算”と称して米軍基地で働く日本人の労務費、光熱費、福利費など62億円を一方的に日本側の負担としてしまった。この負担は義務でもなんでもなかった。それがいまでは2,200億円にまで膨張している。将来これが膨大な金額になるおそれもある。
金丸は少なくとも思いやり予算を見せびらせながら日米地位協定の改定に努力すべきであった。要求されていなくても譲歩するーこれはアングロサクソンの外交では考えられぬことだ。それとも思いやり予算で恩を売っておけば他日別のことで米軍が譲歩するとでも考えたのか。だがアメリカ人には報恩の思想なんて全くない。これはこれ、あれはあれなんだ。思いやり予算はアメリカ人の気質、性情を全く知らぬ者のばかげた一人相撲であったといわざるをえない。また日本の政治屋の知的レベルはこんなものか。
古枯の木―2010年7月5日記す。
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