野球に思う
最近10年ぶりにアナハイムのエンゼルス球場を訪問した。1967年1月に渡米してから最初の数年間はよくボールゲーム(アメリカでは野球の試合をボールゲームと呼ぶ)を見にドジャーズ球場に行った。その頃日本人選手が大リーグでプレイするなどは夢のまた夢だったが今日では多くの日本人選手がアメリカで活躍している。これを日本人として大変誇りに感じる。見に行った試合はエンゼルス対マリナーズの試合でエンゼルスには松井秀樹が、マリナーズにはイチローが所属していることは周知の通りである。では松井やイチローたちはいったい日米の野球の差をどのように考えているだろうか。
アメリカ人と日本人の間には野球に対して大きな考え方の違いがある。アメリカ人は野球はスポーツの一種であり、他のスポーツ例えばフットボール、テニス、バスケットボールなどと同等の位置に置く。ところが日本人はスポーツの中で野球が万能、すべてであると考えている。野球にあらずんばスポーツにあらずという風土さえある。高校時代、野球部員には特別の配慮が学校当局からなされた。また甲子園の高校野球のラジオ放送ではアナウンサーは野球選手を神仏のごとく扱いあらん限りの美辞麗句を彼らに奉呈した。これに対する反感からか古枯の木は日本の野球特に高校野球は大嫌いだった。
だがアメリカに来てアメリカの野球が大好きになった。日本の球場とは比較にならぬぐらいの清潔な球場、広告無しの外野のフェンス、金網のフェンス無しでまじかに見られる選手、職業意識に徹した選手の態度、それに無邪気に観戦する観衆の喜び。
アメリカ人はよくアメリカで一番人気のあるスポーツはアメリカン・フットボールと野球だという。そうだろう。古枯の木からではアメリカ人はこれら二つのスポーツに特権的な地位を与えているかと訊くといつも答えは“ノー”だった。スポーツはすべて平等に扱われているという。
日本でま最近サッカーが人気のあるスポーツになり、ある面では野球の地位を脅かしていると聞く。これは非常に喜ばしいことであり、野球の牙城を脅かすかもしれない。日本では野球以外にもっといろいろなスポーツが行われることを願っている。
古枯の木―2010年7月16日記す。
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