豊富の哲学
戦後、左翼の学者が“貧困の哲学”なる言葉を流行させた。これはなぜわれわれがいつまでも貧しいかという対資本主義の戦術理論であり、彼らはその立論の根拠を私有財産制と労働搾取に置いた。
古枯の木は貧困の哲学なる言葉があるなら“豊富の哲学”なる言葉が存在しても当然ではないかと考えていた。これは豊かさゆえに惨害や悲劇を蒙ることであり、歴史上幾多の例があると思われる。
その一例がルーマニアのトランシルベニアであろう。去年の春訪問したトランシルベニアはトランシルベニア・アルプスとカラペチアン山脈に囲まれた大きな高原地帯である。美しい大自然があり、中世の自治都市の面影が残り、要塞化された教会は異民族の侵攻の激しさを伝えている。果てしなく続く黒い森があり、今にもドラキュラが出てきそうな気味悪ささえもある。この地域をルマニア人はルーマニア民族の揺籃の地(the cradle of the Romanian people)といっている。
トランシルベニアは7世紀からロシアが南下政策の通過地点として虎視眈々狙っていた。11世紀ハンガリー王国の一部となったが、1528年オスマントルコに征服され以後400年間トルコの支配下にあった。トルコは伝統的にこの地をトルコの領土の一部と考えるようになった。18世紀にその領主はハプスブルグ家のオーストリーに変わり、その支配は第一次大戦の終了する1918年まで続いた。オーストリーはドナウ河を自国の生命線ととして重視していた。第二次大戦後はソ連の圧政に長らくしんぎんすることを余儀なくされた。
トランシルベニアはヨーロッパ最大の天然資源の宝庫といわれ、ヨーロッパ列強の垂涎の的だった。紀元前にこの地でゴールドラッシュが起こり、ヨーロッパ最大の金鉱脈が今でもそこに眠っているとされている。1941年6月22日ヒットラーがバルバロッサ作戦を発動してソ連を攻撃したが、この攻撃の直接の目的はルーマニアのプロイエスティ(Ploiesti)の油田を確保することにあった。この油田は第二次大戦中、しばしば連合軍の爆撃を受け、1944年8月には独ソ間の熾烈な戦場となり、最後はドイツ軍が一木一草も残らぬぐらい徹底的に破壊して敗走した。
トランシルベニアはまた肥沃な大地に恵まれている。最近、中国がここで農地を買い漁っていると聞いた。ルーマニア人は中国の土地買収をある程度やもう得ないとしながらも、アフリカで中国が示したようにただ農民から収奪するだけで農民になんらの恩恵を与えない中国の土地買収を極度に恐れているそうである。果たしてトランシルベニアの新領主は中国であろうか。また豊富の哲学の哲理は今も生き続けているだろうか。
古枯の木――2010年7月8日記す
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