2010年8月19日木曜日

太平洋戦争の敗因

太平洋戦争の敗因

 太平洋戦争の敗因については古来いろいろな説がある。ドイツ海軍の副提督で戦前(1933-37)と戦中(1940-45)に東京に駐在したポール・べネカーがいる。彼は日本の戦争遂行と敗戦の過程を第三者的に冷静に観察していたが、その敗戦の理由を次の3つに分析している。
1. 自信過剰
2. 敵の力の過小評価
3. 余りに長く延びきった補給線
 アメリカ人でも日本敗戦の最大事由を日本人の自信過剰とする人が多い。戦前、戦中の帝国陸海軍には不可思議な自信、過信、うぬぼれ、驕慢、思い上がり、跳ね上がりと膨張主義が充満していた。自信を持つのはいいことであり必要なことでもあるのだがどうも日本民族はすぐに自信を過信に転化してしまう悪い癖を有する。
 古枯の木は1967年1月仕事のため渡米した。その頃、社の内外に太平洋戦争に従軍したアメリカ人が沢山おり、大戦中の日本軍の戦いぶりについて彼らの意見を徴してみた。彼らは異口同音に、日本兵は個人としては極めて勇敢であり劣悪な環境下でも異常なほどの持久力を発揮したが、戦術と戦略において日本軍には悲しいほどインテリジェンスが欠如していたと語ってくれた。インテリジェンスは元来知性の意味だが、軍隊用語では諜報活動、秘密情報、敵情判断を意味する。インテリジェンスの欠如が敗戦の理由だったかもしれない。
 山本五十六は大変合理的な頭脳の持ち主であったといわれているが、彼の下にいた12名の参謀な中に暗号や通信の参謀はいても情報の参謀はいなかった。恐らく情報なんかくそ食らえという考えがあったかも知れない。
 ここで古枯の木の考えを開陳したい。第一に日本には戦争の正面が多すぎたことである。古来2正面作戦を避けるべきことは軍事学の鉄則である。にもかかわらず、日本は2正面作戦どころかその力を過信して4正面作戦をとった。それは対アメリカ、対ソ連、対中国そして対南方である。これでは勝てる訳がない。本来、国力はその全力を1点に集中すべきである。いかなる個人でも国家でも4点に全力を集中することはできぬ。第一大戦の前、ドイツのシュリーフェン参謀総長は仏露を相手の2正面作戦計画を練り、10年間もその訓練を重ねてきたが大戦では成功しなかった。日本は4正面作戦のためその敗北の速度を4倍も早めたといいうる。
 第二に日本軍は己の力を過信して攻勢終末点を超えて戦線を拡大したことに敗北の大きな原因がある。攻勢終末点とは、経済力、軍事力またはロジスッティク(兵站補給)の面から考慮してこの点を超えて戦線を拡大してはならないという点を意味する。攻勢の限界である。これも軍事学の鉄則である。日本は緒戦の植民地軍に対する勝利に酔い、戦えば英米に勝つものとなめてかかり、攻勢終末点を越えて進撃したためその敗北を早めた。
 第三に戦争には必ず作戦間隔というものがある。一つの作戦と次の作戦の間に間隔を保つことである。これも軍事学の鉄則であるが、日本軍は己を過信して大変せっかちな作戦を展開した。ミッドウエイで戦死した山口多門少将は作戦の延期を何度も依頼したが、山本五十六はこれを許さなかった。
 戦争の敗因は客観的にしかも冷静に分析されねばならない。この結果はわれわれのあるゆる社会生活の面にも応用できるのではないか。

古枯の木―2010年8月15日記す。

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