総員玉砕せよ
NHKテレビのゲゲゲ女房を楽しく見ている。心温まるよいドラマだ。古枯の木は水木しげる記念館のある境港市を訪問したし、安来の足立美術館では素晴らしい陶磁器を見せてもらった。このテレビドラマの中で“総員玉砕せよ”という一つのシーンがあったが、これはエンジョイするには余りにも深刻な場面であった。長男の嫁(32歳)が玉砕とは何かという質問を提起してきた。
戦時中、古枯の木は小学生だったが、クラスの全員が玉砕の意味を知っていた。この点時代の推移を感じる。先生は時期がきたら天皇陛下のために死ね、死にさえすれば人から褒められる、死ぬときはぶざまな死に方をするなと何度も繰り返していた。玉砕は全員が死ぬことで生存者はいないことを意味する。生きていることは許されないのだ。
この玉砕は帝国陸軍の専売特許のように思われているがあながちそうでもない。トルコ建国の父アタチュルク(1881-1938)は非常に有能な軍人であり政治家でもあった。軍人として彼は生涯戦争に負けたことはなかった。英仏を敵に回して乾坤一擲の大勝負であったダーダネルス海峡とガリポリ半島の戦闘(1915年2月-12月)では全兵士に対し“余は君たちに戦えとは命令せぬ。死ねと命ずる”と告げた。だがアタチュルクの命令には帝国陸軍の玉砕命令の中にある陰湿さ、凄惨さ、あほらしさ、形式主義は感じられない。これはなぜであろうか。
古枯の木-2010年8月24日記す。
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