2010年7月3日土曜日

外交とは

外交とは

 元国務長官のHenry A. Kissinger はその著“Diplomacy”の冒頭で外交の定義をしている。それによれば外交とは“冷徹なパワーの計算に基づいて国益を追求すること”となっている。古枯の木はその著“アメリカ意外史”の中でアメリカ外交の特色を次のように書いている。
1. ときに外交の天才性を発揮する。
2. 類まれな膨張主義者である。
3. 国益のためには何でもする国である。
 一方19世紀初頭のイギリスの外交家Palmerstonはイギリス外交の原則を"イギリスにとって永久の敵はなし、永久の友もなし、あるは永久の利益のみ“と述べている。これはイギリスのみならずあらゆる国の外交に適用される大原則である。
 外交の基礎概念はやはりパワーと国益であろう。だが現実に日本外交はしたたかさに欠け、いつも淡白で、狡猾な怜悧さなど微塵も感じられないように思える。謹厳時直な職人気質の国の外交が日本外交ではないか。さらに敗戦後は米国屈従の態度から自主性を痛く欠くようになった。
 だが一番ひどいのは鳩山元総理の“友愛外交”だ。こんな幼稚なことを言った外交家や政治家は古今洋の東西と問わず一人もいない。鳩山は日本外交に“幼稚”という刻印を押してしまった。

古枯の木―2010年7月1日記す。

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