2009年7月6日月曜日

トルコはどこへ行く

トルコはどこへゆく

 2009年6月22日、当地パーロスベルデスに住むアメリカ人のグループからトルコの現況についての説明を求められた。古枯の木の説明は、トルコのケマルパシャ(1881-1938、別名アタチュルク)が成し遂げた宗教、教育、社会、ファッションの諸革命が音をたてて崩壊していること、アタチュルクを”イスラム文明の裏切り者”として非難し、マホメットが”余の後に予言者は現れず、新しい信仰は生まれない”と説いた632年の後進未開の状態に回帰したいと願っていること、過去7年間でイスラム原理主義者が倍増したこと、EUの加盟はもはや絶望的とみなしてアラブ世界に向かう傾向の強いことなどを焦点とした。
 出席者からはイスラム教は”コーランか剣か”のプリンシプルで全世界を切り従えたこと、彼らがその原則を放棄したと聞いたことは一切なく、依然好戦的であること、アタチュルクの目指した近代化、西欧化に対する逆襲の始まっていること、宗教を個人の倫理から国教に再変更する運動のあること、一部のアメリカの学者はイスラム教は平和な宗教であると主張するがこれは真っ赤なウソであること、西欧とイスラムの融和は不可能であるなどが陳述された。
 古枯の木が”Turkey is the catalyst for Arabic Changes。”と述べたとこら全員がこれに賛成し、早急にトルコをEUに加盟させるべきだとの結論に達した。1999年にトルコは正式加盟交渉の候補国になり、2004年には交渉開始が決定され、2005年から交渉開始となった。正式加盟には、35もの交渉項目があり、一つの問題が解決されるとさらに新たな問題が提起されるため、トルコ人は皮肉を込めてこれをホームワークと呼びうんざりしている。さらに2006年12月以来、交渉項目のうち8項目が棚上げされたことにより加盟交渉のスピードは大幅にダウンしてしまったことなどを説明した。いずれにせよトルコのEU加盟は容易なことではない。
 古枯の木ーーー2009年7月5日記す。
 

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