2010年6月20日日曜日

如水会報への寄稿について

皆さん

 古枯の木は母校の同窓会会報である如水会報の2010年5月号に”山本五十六とロサンゼルス”なるエッセイを寄稿しました。多くの読者からコメントをいただきましたが、そのうちの一部を次に紹介します。

1.五十六を軍政家と用兵家に分けて分析したのは面白い。
2.五十六を連合艦隊司令長官ではなくて海軍大臣か海軍次官にしておけば日米戦争は避けられたかもしれない。
3.帝国陸海軍はまったくぐーたらだったが、五十六だけは違ったという観念を強くした。
4.五十六が航空主兵主義を採用した経緯を知りたい。
5.ソロモン諸島の消耗戦はアメリカにとっても消耗戦であったか。(そうです。アメリカはこの戦いをattrition without intermissionと呼んでいました)
6.五十六の生地の長岡は空襲を受けたか。(はい、1945年8月1日、B29 126機による空襲を受け、町の80%が灰燼に帰しました。でも駅前にあった連合軍の捕虜収容場は無傷。さらに同年7月には長岡市の郊外に模擬原爆が投下され多くの村人が即死しました)

 古枯の木

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