アメリカの弁護士
古枯の木
アメリカには現在弁護士が82万人もいるとされている。350人当たり1人の割合だ。今秋、友人の娘がロス近郊の小さなLoyola Universityのロースクールを卒業するとのことでその卒業式に出席した。卒業生は270人もおり、うち9割はそのあと実施される司法試験に合格するそうである。ただでさえも弁護士の数が多いところに、毎年新たに何人の弁護士が誕生するのだろうか。一方、西欧諸国ではどうであろうか。西欧の中で最も弁護士の数の少ないのはフランスだがそれでも4万人はいる。日本はフランスよりさらに少なく1万8千人で、9千人に1人の割合だそうだ。アメリカでは弁護士の数が多すぎるために訴訟の数も自然に多くなる。そのため訴訟を制限しようとする動きがワシントンにはあるが、そのための法律を作る奴が弁護士だからなかなか旨くゆかぬ。
アメリカで弁護士はよくambulance chaserと呼ばれる。Ambulanceは救急車、Chaserは追うものの意味である。弁護士の数が多いため、彼らが救急車の行き着く先に訴訟のネタはないものかと鵜の目鷹の目で救急車を追うからである。被害者がその場にいれば弁護士は当然に訴訟することを薦めるであろう。最近わが家に見知らぬ弁護士からよく手紙が来る。それはある大会社を相手に集団訴訟を起すからこれに参加せぬかとの誘いである。筆者の友人で訳の分からぬまま弁護士の甘言に乗せられてこのような手紙にサインし、後で当の弁護士が敗訴して多額の弁護士費用の請求を受けた人がいる。またアメリカには成功報酬の制度(contingency)があって、勝訴した場合だけ弁護士にその費用を払い敗訴した場合は支払いが不要となっている。ところが弁護士が勝ち目がないと判断すると途中で裁判を放棄してしまうため困っている人もいる。なにしろ弁護士のマスクを被って世の善男善女を食い物にする輩もいるから注意が肝要である。
アメリカでは弁護士が生活のあらゆる分野に入り込んでいる。企業の中枢にまで弁護士がいて、彼ら無しでは会社経営も難しい。企業はあらゆる訴訟に対処できるよういつでも準備しなければならず、その弁護士費用や時間は膨大である。事態がこのまま推移すればアメリカ社会そのものが疲弊してしまう。またなんらかの理由で隣人から訴えられたら弁護士が必要である。私生活でも弁護士は欠かせない。
欧米社会では司法制度、裁判制度を必ずしも信用していない。むしろ不信感、懐疑心が強い。そのため司法民主化の旗印の下、紀元前5世紀の中ごろから陪審員制度が発達してきた。陪審員制度は司法不信の産物である。だがこの長い歴史を有する陪審員制度に対する欠陥が近時指摘されるようになった。それは弁護士が法廷で金持ちの被告のためにその辣腕と豪腕を利用して自分に有利なように陪審員を説得してしまうからである。“裁判の沙汰もカネ次第”という訳だ。この契機の一つになったのはO.J.シンプソン事件である。これは1994年有名なフットボールの選手であったシンプソンが前妻の二コール・ブラウンを殺害したもの。また最近では有名な歌手のマイケル・ジャクソンの児童に対する性的虐待事件がある。両事件では国民全体が被告の有罪を信じて疑わなかったが、弁護士の圧力により無罪になってしまった。これら弁護士は2人の大金持ちから莫大な報酬を得たであろう。でもこれは弁護士一般に対する不信感を増幅させてしまった。
そのような弁護士ではあるが、弁護士費用は大変高い。でも費用の故に弁護士を排除することはできぬ。そのためある人は弁護士とは必要悪(necessary evil)だと言い、他の人は頭のいい盗人だと指摘する。英語にocean lawyerという言葉がある。これは文字どうり海の弁護士でさめを意味する。同様に陸の弁護士もさめだという訳だ。この世にはさめ弁護士がたくさん遊よくしているから食いつかれないように注意する必要がある。
弁護士事務所は、クライエントからの電話に対し通常6分単位で料金を請求する。これはクライエントから電話を受けた瞬間から計算を始める。日本流に時候の挨拶などしていたらダメだ。時間はすべて切り上げだから7分は12分になる。ランチをご馳走するからということで、弁護士の招待を受けたら、後でランチ代の請求書が来た。このことをある友人に話したら、彼はランチ時の時間まで請求されたという。
弁護士、医者、公認会計士、大学教授、IT技術者はアメリカでも人も羨む良い職業であり、彼らの社会的地位は高い。だが地位の高いことと、尊敬されていることは別問題である。弁護士に寄せるアメリカ人の信頼感は決して高くはない。それが証拠に弁護士に対する辛らつな皮肉が山とある。これに関する本は無数出版されている。これをattorney jokeと呼ぶが、そのうちの人口に膾炙している数個をご紹介したい。
1. 弁護士と吸血鬼の違いは?
吸血鬼は夜間しか人間の生き血を吸わないが、弁護士は24時間吸う。
2. 本当にいい弁護士はどこにいるか?
墓の中だけ。
3. 2人の弁護士が森の中を歩いていると、熊が出てきた。1人が急いで革靴を運動靴に履きかえるのを見た他の弁護士が“ムダのことをしなさんな。熊にはとてもかなわないよ”と言った。すると相手は“とんでもない。お前を追い越すために運動靴に変えたのさ”
4. 弁護士で満杯の飛行機をハイジャックしたテロリストは何と言ったか?
もし彼らの要求が入れられなければ、10分に1人の割合で悪徳弁護士を釈放すると言って恐喝した。
5. ある男が弁護士事務所を訪問し、弁護士に向かって“質問2つまでは100ドルと聞いているが本当か“”本当だよ。それで2番目の質問は?“
6. ある金持ちが臨終の床に、公認会計士、坊主、弁護士を呼び、各々に5千ドルを渡し、死後、冥土でしばらく遊びたいので、この金を棺の中に入れてくれと依頼した。葬式後、3人は再会した。まず坊主がきまり悪そうに“棺の中には3千ドル入れたのみ。残りは教会に寄付した”と言い訳した。つぎに公認会計士が“俺も2千ドル入れたのみ。3千ドルは会計士協会に寄付した”と。最後に立った弁護士が“お前らはまったくけしからん。俺は満額入れたよ。ただし現金ではなく小切手でね”
筆者がかつてオレゴン州のある大学のMBAで講義をしていたとき同学のロースクールの学生が一人講義に出ていた。あるとき彼は日本人経営者がアメリカの弁護士をどのように考えているかと質問してきた。そこで筆者は黒板の上に丸を描いた。この丸を指しながら“一般の人はこれを何かと訊かれたら100%が丸と答えるだろう。だがアメリカの弁護士はそれが丸だと知りながら四角だと答える。しかもそれがなぜ四角に見えるかの理屈を発見する頭のいい人である”と。
昔、法学概論の授業のとき、法とは社会的正義に仕える侍女であると説明する教授がいた。だが現代のアメリカでそのようなコンセプトは受け入れられているだろうか。法とは訴訟のための道具と考えている弁護士が多いではないか。ロースクールで学んだ者の多くが学校では常に“戦え、戦え”と言って尻を叩かれたと言っていた。法の論理が戦いの論理によって置き換えられた感すらあるようである。
このエッセイでは弁護士に対する辛らつなジョーク、皮肉をたくさん紹介したが、信頼しうる弁護士がいない訳ではない。筆者の会社員としての生活と私的生活を通じて少なくとも3人はいた。1人は1957年一橋大学商学部卒業の後、単身船でロスに来て、苦学力行、カリフォルニア州の薬剤師と弁護士の資格を取得した人格高潔なA氏、東京都知事の石原慎太郎がかつて、“同級生の中で一番勉強したのはAだ”と言ったのを人づてに聞いたことがある。2人目はハンガリーから無一文でナチスの苛酷な圧政を逃れてやって来たK氏、独禁法の精神を金銭を度外視して教えてくれた。3人目はかつてカリフォルニア州弁護士協会の倫理部の部長を長く勤めていたアルメニア系のJ氏、彼はいつも弁護士には人間の人間たる絶対的そして普遍的価値観や確固たる倫理観が必要だと強調していた。
日本政府は現在弁護士数の増加に努めているようである。その必要性は認める。とくにIT関係、特許関係と国際税務関係の弁護士の不足は否めない。だが余りに数が増大すると弁護士が食うための餌を求めてアメリカのように訴訟王国にならぬとも限らぬ。
古枯の木(一橋大学大学院修了後、アメリカで勤務。在米35年。著書に『日本敗れたり』『アメリカ意外史』『ゴールドラッシュ物語』『楽しい英語でアメリカを学ぶ』など)
アメリカに住む友人たちから、ちょっとしたことから訴えられた話を何度か聞いたことがありますが、お金を得るための材料に訴えられたらたまりませんね。私は弁護士は頭のいい正義の味方であると思ってましたし、そうであってほしいです。日本がアメリカの二の舞にならないことを祈ります。
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