2009年1月30日金曜日

アメリカドッキリ物語3

アメリカ・ドッキリ物語 (3)

                  古枯の木

子供に対する期待

 あるとき、わが家の三男の高校卒業式に出席した。アメリカで式とよべるものは卒業式だけであり、入学式、始業式、終業式などはまったくやらない。この点日本人は式好きである。日本の会社の営業会議ではいつもセールスマンの表彰式ばかりやっていた。わが家の息子たちがアメリカの小学校から日本の小学校に転校したときのインシデント。初日は始業式だった。息子たちはこの日からアメリカ式に授業が始まるものと思っていた。ところが授業はなく、しかも校長がながながと話をしていたが、聞いているものは一人もいなかったとのこと。冒頭述べた三男の卒業式に日頃親しくしていたアメリカ人の夫妻も彼らの息子のために来ていた。

 そのときアメリカ人夫妻に対し、息子は将来何になってほしいかと訊いた。日本人的発想では息子が一流大学に入り、一流会社に勤務すること、または医者、弁護士、IT技術者、大学教授になってくれることであろう。ところが夫妻の回答は意外なものだった。“息子がいい職業に就ければそれに越したことはない。だが人生にはこれよりもっと大事なことがたくさんある。息子が幸福で存分に個性を発揮し、自由で個人の尊厳に満ち、しかも独立心ある人生を送ってくれるよう期待する”とか“自分の幸福だけではなくて他人の幸福も追求するような人間に成長して欲しい“とか述べた。

 これにはまったく参った。そこには親が子に対し確固たる倫理感を持った個に成長する希望があった。また力と生命に満ち溢れたキリスト教的倫理観、道徳観、人間愛、隣人愛さえも感じられた。実利、栄誉、栄達、名声のみを求めていた人間には衝撃の言葉であり、ドッキリした。同時にかかる浅はかで世俗的な自分に深く恥じ入った次第である。いい学校、いい職業よりももっと重要なものがこの世の中にはあると再認識した。

 このインシデント以来、誰に対してもかかる愚問は一切発しないことにしている。

古枯の木―アメリカ在住35年、歴史愛好家で歴史の探索屋を自認している。本年2月ロスの近現代史研究会で“万次郎余話”と題して万次郎に関する第2回目の講演を行った)

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