英語のむずかしさ
古枯の木
旧制中学1年生のとき敗戦となり、それまで禁止されていた英語教育が復活した。英語を勉強することは未知の世界を探検するような楽しみがあって大いに興味をもったものだ。日本語に時制は現在、過去、未来の三つしかないが、英語には六時制もあると聞いたときのnice surpriseは今も忘れることができない。しかも英語の勉強は極めて安価な未知の世界の探検だった。また英語は日本語よりもはるかに論理的であるため論理的思考の発展に寄与したかもしれない。
筆者のアメリカ生活はトータルで35年ぐらいになるが、英語の読み、書き、話す、そして聞くなかで一番むずかしいのは依然として聞くことである。なにしろ20歳ぐらいまで外人と話す機会がなかったため耳の訓練が大変遅れてしまった。この点、耳も熱いうちに打つ必要がある。一方一番やさしいのは書くことである。これは自分の持てる語彙と文法力によって大体好きなように書けるからである。
ヒアリングの能力を向上させるための良い方法はないかとあるアメリカ人に相談したところ速記を習えと教えてくれた。速記では耳に全神経が集中するからである。2年余り速記を学校で勉強したが、その効果ははっきり分からぬ。
わが家にはアメリカと日本で教育を受けた子供が3人いる。ほぼ完璧なbilingualである。彼らによると日本の学校で教える英語はAmerican EnglishではないしQueen’s English でもないという。完全なJapanese Englishを日本の子供は習っているそうだ。筆者の英語もJapanese Englishの域を出ぬという。
英語について日頃感じていることをつれづれなるままに書いてみたい。今述べた日本英語が純粋な英語の領域を常に蚕食しているように思える。例えば英語で日本語に帰化したものが随分あるが、本来の英語の発音を可能な限り残せばいいものを日本的にmodifyしている。ビジネスの正しい英語発音はビズニスだ。(このコンピューターは発音記号を表示できないので残念ながらカタカナによる)レディー(lady)は正しくはレイディー、メジャーはメイジャー、コンテナはコンテイナー、セフティーはセイフティー、ベビーはベイビー、これらは枚挙にいとまがない。
またアクセントの位置が変化してしまったものもある。以下アクセントは太字で表示する。アドバイスという英語はないのに放送局は平気でアドバイスと言っている。ディスプレイも同じこと。単純な日本語の発音に比較して英語の発音は複雑でむずかしい。日本人の舌が長い間に退化してしまったかもしれない。大学で講義をするとき学生に“俺はretarded tongue(退化した舌)の持ち主で俺の英語の発音はJaplish(Japanese とEnglishのmixture)だから柔軟性をもって聞いておれ”と言って笑わせたこともある。筆者の友人でアメリカに来て弁護士になった人がいる。彼も英語の発音は困難だと言う。あるとき電話で“This is an attorney.”と言ったところ相手が“Hey, Tony, how are you?”と答えたそうだ。AttorneyがTonyと間違えられたわけだ。
街で見る英語も随分いい加減なものが多い。例えば午前10時をA.M. 10とする。正しくは10:00 a.m.であり、日本に来る外国の旅行者はこれを見て笑い出す。日常生活でもゴルフのシングル、スキンシップ、ケースバイケース、野球のメイクドラマ、シルバーシート、オールドミス、ニクソンショックなどは英語に直訳できぬ。Grand Open, grade up もいい加減な英語の典型。
和製英語としての市民権を与えられていながら本来の意味とはまったく異なる意味に使われているものがある。Pay offは本来完済の意味。例えばpay off national debt。だが日本の金融界はまったく別の意味に使用した。いろいろの図書で調査をし、さらに金融に通じている学識あるアメリカ人に尋ねてみたが日本的意味はどこからも出てこなかった。Life lineも同じことで日本では生活の基盤となる電気、ガスなどの意味に使用しているようだが、これはあくまでも船から溺れている者に投げる命綱であり、また船からの転落を防ぐために船の周りに張られた綱などである.
一見したところ意味不明のカタカナも多い。アンケートは何語かな。英語ではopinion poll。マンツゥーマンはone on oneが正しい。one on one private lesson という広告をよく見る。フライドポテトはFrench fries、ガソリンスタンドはgas station、ベッドタウンはcommuter town、commuterは通勤列車のこと。ミスコンテストはbeauty pageant、これらは枚挙にいとまがない。
英語にならぬ日本語も多い。先輩、後輩は和英辞典に苦しい訳語が載っているが、英語にならない。そのようなコンセプトがアメリカ人の間にないからだ。アメリカ人には同じ学校の出身者でも縦の関係は存在しない。“俺はお前の先輩だ”などと先輩風を吹かせたら笑われてしまう。よく日本人は米を主食とするといわれるが、主食という英語はない。パンは彼らの主食ではない。昔、日本の車のディーラーの社長がアメリカに来て、リセプションのとき、“俺は義理人情によって車を販売している”という言葉を英訳しろと言われて困ったことがある。先日はありがとうございました、今後ともよろしく、ただいま、いただきます、会社員、おかげさまで、行政指導(アメリカは規制か自由の二者択一があるだけで、極めて曖昧模糊で日本的な指導なるものは存在しない)などは英語にならぬ。そんなコンセプトや事実がアメリカには存在しないからだ。
日本人に理解困難な英語もある。クラシック音楽はclassical musicというし古典的美人はclassical beautyになっている。一方classic movie, classic car, classic artなどの英単語もある。Classicalとclassicの違いを調査したが、まったく分からぬ。日本に対する注文はorder from Japanといい、order to Japanとはいわない。“本の13ページを開けよ”はOpen your book to page 13. であり、at page 13とはいわない。Love of natureは自然に対する愛であり、of は“対する”と解釈すべきである。Offは普通離れたことを意味するが、ときには状態を示す。He is better off now. は彼は今ベターな状態にあることを示す。You are to blame.はあなたは責めるべきではなくて、責められるべきの意味になる。Remember Pearl Harbor. To hell with the Japs. これは真珠湾攻撃のあとに有名になった言葉である。To hell with the Japs. は“日本人を地獄に落としてやれ”を表す。“地獄に落ちよ”は一般的にGet the hell out of here. と言う。
“お会いできることを楽しみにしています“はI am looking forward to seeing you. と言うが、to see you は誤りである。なぜかは知らぬ。同様にThis company is committed to preserving energy. と言う。I suggested him to go.は誤り。I suggested him that he should go.とせねばならぬ。Explain やdiscuss にabout は付けぬ。よく日本人はPlease explain about it. Let’s discuss about it.と言うがこれはいずれも誤り。
英語には歴史的背景を知らなくては理解が困難なものがある。Two bitsとはコインの25セントのこと。往時アメリカでは小銭の必要なとき1ドル銀貨を割って使用した。1ドル銀貨の1/8がone bitであり、two bitsは1/4。1ドルの1/4は25セントである。1ドル、2ドルのことを1 buck, 2 bucksという。これは昔、アメリカの紙幣がbuckskin(羊の皮)でできていたことの名残。ドル紙幣のことをgreenbackというがこれはかつて紙幣の裏側がグリーンであった歴史的事実による。COPは警官のことだが、これは以前警官のバッジが銅(copper)でできていたため。
I will hit the hay. は寝ることを表す。アメリカの西部開拓時代、ホテルの数は極めて僅少で、それも大きな町に限られていた。したがって、開拓者たちは、野中の百姓の一軒屋を訪ねて一晩の宿を依頼することがよくあった。だが百姓家にもベッドはたくさん無かった。応対に出たワイフが、申し訳なさそうな顔をして、“あいにくベッドの余分は無いけれど、馬小屋の枯れ草の上ではどうでしょうか”と答えることが多かった。枯れ草を打つとはそれ以来寝ることを意味するようになった。アメリカ人との夕食のあと眠くなると筆者はよくこの表現を利用した。するとアメリカ人はHave a sweet dream. と返してきた。
アメリカ人はよくPut your John Hancock.というが、これは“サインをください”を意味する。1776年7月2日に独立宣言が議会を通過し、4日にこれに署名がなされた。独立宣言を起草したのは後にアメリカ第3代の大統領になるThomas Jeffersonであっため皆彼が最初に署名するものと期待していた。ところが当日John Hancock(1737-93)が最初にサインをしてしまい、しがも大書したのだ。彼は独立宣言の起草には全然関与していなかった。でもそれ以後John Hancockは署名を意味するようになった。
英語に特有のしゃれた表現もある。アメリカでは昔からblueberryが目によいとされている。太平洋戦争中、戦闘機のパイロットであった息子に何度もこれを送り続けたという有名な母親の話がある。Very goodと言う代わりに最近berry, berry goodと茶化すアメリカ人が多い。筆者は昔からblueberry が好きでよく食べてきた。そのためかどうかは知らぬが74歳の今でもメガネは要らぬ。Give me the bad news. はレストランで食事を終わり請求書を請求するときによく使われる。ステーキの焼き方にはwell done, medium, medium rare, rareなどがあるがbloody and moving (血がしたたっていて動いている)はrareのことである。Just Marriedは新婚ほやほや。あるとき自動車のボディーに次のように書かれているのを発見した。She has got me today. I will get her tonight.これは簡単に理解できますね。We have come a long way, baby. は、われわれは長い時間と多くの労力を費やしてやっとここまで来たという意味である。筆者は1990年代の初め、1645年に創設された由緒ある日本企業のアメリカ法人で働いたことがある。その頃、アメリカ人の日本企業に対する関心が高く、各地の大学や協会で講義やスピーチを求められた。会社が古いことを強調するために、冒頭によくこの表現を用いた。アメリカ人はこれを喜び拍手喝采してくれた。どうもこれはアメリカ人の好きな言葉らしい。
簡にして要をえた表現も大切だ。Brevity is the soul of wit.とはシェイクスピアの残した有名な言葉である。筆者はアメリカで会社の経営中、いつも部下に対し、レポートは一枚でbrief and to the pointでなければならないことを強調してきた。敗戦後の日本帝国を解体したマッカーサー元帥は部下に対しレポートはいつも1ページであることを厳命し、2ページにわたるものは一切読まなかったそうである。あるアメリカの語義学者(語義学は英語でsemanticsという)はレポートに関し次のように言っている。A report is like girl’s mini skirt. It must be short enough to be interesting, but long enough to cover the subject. 無条件に賛成できますね。“会議中”という表札に日本の大商社が意味不明の長たらしい英語を書いていた。この場合アメリカでは“Meeting in Progress”という。使用中なら“IN USE”でいい。年中無休はopen seven daysまたはnever closeで分かるだろう。
英語を書くことは一番やさしいと冒頭に言ったが、英訳上気をつけなければならないことが多い。あるとき“彼の運動神経はすばらしい”をHe has an excellent athletic nerve.としたらアメリカ人教師から人間の体の中に運動神経という神経は存在しないぞと教えられた。確かにそのような神経は人体にはない。またタバコは身体に悪いはSmoking cigarettes is bad for health. とすべきだろう。タバコそのものが悪いのではなくて吸うことが悪いのだから。
英語の文法も時代とともに変化する。最近よく使われる言葉にhealthyがある。筆者の学生時代healthyは個人的なことには使用できぬと教えられた。従って彼女の健康状態はよいはShe is in good health. といい、She is healthy. とはいわぬと学んだ。だがこの法則は最近完全に打ち破られている。昔、アメリカの夜間大学で英語の勉強をしたとき、アメリカ人はよく“それは私だ”と言う場合It’s me. と言うが正確にはIt’s I. ではないかと教授に質問したことがある。教授は後者が文法的には正しく、It’s me.と言うほど文法はまだ軟化、俗化していないとのことだった。
本に書かれている英語でも実際には使用されぬものも多い。1967年夏、一橋大学の岩田一男教授が“英語に強くなる本”を出版され、ベストセラーになった。この中で岩田氏はトイレでノックされたとき、“I am here.”はこっけいであり、“Someone in.”と言うべきであると述べておられる。だがSomeone in.は聞いたことがない。多くのアメリカ人に訊いたがそんなことは言わぬと言う。ノックをしたとき普通は“Wait your turn.”が返ってくるが、あるとき“Can’t you smell me?”と返事したやつもいる。本に書かれた英語だからといって頭からこれを信用することは危険である。
アメリカに35年も住んでいながら英語は一向に上達せずその道は厳しく長い。今でも通訳を依頼されると便所に飛び込んで逃げたくなる。通訳をしていて一番困るのは話す人が日本語でなにを言わんとしているのか理解できぬときである。一方少しでも英語の素養のある人の通訳はやりやすい。中学生のときから英語は好きで勉強してきたつもりだがいつも不勉強を嘆いている。ときには英語不適格者かとも思う。いずれにせよ英語の学習は道半ばであり、年齢のことを考えると日暮れて道遠しの感さえある。だが英語の学習に王道は無く、毎日歩一歩を進めるのが凡才の最適の英語学習方法であろう。
(古枯の木 英語の勉強を趣味とする者。ロスに永住予定。著書に“楽しい英語でアメリカを学ぶ”など)
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