2009年1月16日金曜日

続太平洋戦争と日系人の苦悩

続太平洋戦争と日系人の苦悩
古枯の木
                 

昨年9月“太平洋戦争と日系人の苦悩”というエッセイを文窓に掲載してもらったが、そのとき、まったく同じものを数人の友人、知人に流した。するとシカゴに住む友人から“日本人はルーズベルトの日系人収容について余り知らないから何らかの形でこれを日本で発表したらどうか”と言ってきた。そうだ。約1年まえ、日本のある大新聞社が何かの特集の中でルーズベルトはアメリカ全土の日系人を収容所に送ったようなことを書いていた。すぐこの新聞社にアドバイスを送ったが現在までなしのつぶてである。

日本でどのように発表するかについては、しばらく考えたあと、一橋大学の同窓会報である如水会報に投稿することに決めた。そしてこれが本年2月号の同報に掲載されたのである。題名は“アメリカの日系人”。ただ字数が1,600字に制限されていたため原文をかなり縮小せざるをえなかった。このエッセイを巡りいろいろな反響があったが、以下の二つだけを皆さんに紹介しておきたい。

1. アメリカ軍が2度までも救出に失敗したテキサス部隊の救出に日系人の442部隊が成功したというのは通説である。だがこの通説はアメリカ軍のついた真っ赤な大嘘。アメリカ軍はドイツ軍の勇敢で苛烈な反撃を恐れて救出に赴かず、最初から“ジャップ”の442部隊に丸投げした。
2. ルーズベルトは当初、戦時中のアメリカ軍捕虜と日本軍捕虜の交換を考えていたが、日本兵が簡単に捕虜にならないことを知った。そのため日系人を収容所に入れて日系人とアメリカ軍捕虜の交換を実現しようとした。これが日系人収容の真相である。

もし上述の1.が事実であるとすれば、嘘を捏造したアメリカ軍人は軍人の風上にも置けぬ卑劣な人間であったと言わざるをえない。また2.に関し、ルーズベルトの日系人収容の方針については論理一貫せぬ点が多い。当時アメリカの中西部と東部にもかなりの日系人が住んでいたが、彼らは収容の対象にはならなかった。収容の事由の一つが日系人が“敵性外国人(enemy alien)”であることにあったが、彼らに“敵性”はなかったのか。他の収容の理由が“軍事上の必要性”にあったが、ハワイに住む日系人は一人も収容されなかった。ではハワイは西海岸よりも軍事上の必要性が低かったのか?そんなことはない。ハワイにはアメリカ太平洋艦隊の基地が厳存したのだ。

これらは筆者の知らなかったことであり、驚きでもあった。このあとも貴重な新説が出てきたらお知らせしたい。

古枯の木。アメリカ在住35年、著書に“日本敗れたり”“アメリカ意外史”など。

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