2010年9月2日木曜日

無敵艦隊

無敵艦隊

 旧日本海軍の提督で海軍屈指の良識派であった堀悌吉は部下の将兵が無敵艦隊という言葉を使用するのを深くたしなめた。無敵艦隊とは向かうところ敵なしの強力な艦隊である。戦時中の小学校で毎日聞いた言葉である。堀はこの言葉は慢心の表れであるとした。
 やはり海軍の良識派の一人で大局をみるの明があった山本五十六とともに掘は第一次大戦後の日本を次のように定義した。“日本人の意識改革は欧米のそれに比較して100は年遅れている。学問、科学技術の水準は30年も遅れている。そしてわが海軍は10年遅れている”と。
 戦時中、不沈戦艦なる言葉も流行した。日本の戦艦は絶対に撃沈されることはないことを強調したものであろう。五十六は“不沈戦艦などありえない”としてこれを一笑に付した。
 ごく最近まで日本人は日本のことを経済大国と呼んでいた。古枯の木は30年以上も経済、貿易の第一線で働いてきたが日本が経済大国だと思ったことは一度もなかったし今もない。いつもこの言葉には大きな嫌悪を感じてきた。経済大国なる言葉もやはり慢心の表れであろう。

古枯の木-2010年9月2日記す。

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