2010年9月10日金曜日

秀才の落とし穴

秀才の落とし穴

 旧日本帝国の陸海軍は天下の秀才を集めた。陸軍士官学校、海軍兵学校の入学は至難中の至難といわれた。ところが秀才中の秀才である彼らに大きな落とし穴のあることがしばしば発見される。これは彼らの教育が軍事学に限定されたためかまたは彼らが他の学問、科学や円満な常識を拒否したたためかどうかは知らぬ。でも彼らは大ポカをやり、己の力の限界を認識せず無謀極まりない太平洋戦争に突入したのだ。
 海軍は当為大鑑巨砲主義に熱中した。戦艦大和の主砲は口径46センチ、タマは43キロ先まで飛んだといわれる。だが42キロ飛んだとしてどうやって照準するのか。レーダーもない当時としてはそれは不可能だった。だのに飛距離のみを追ったのだ。まことにバカげた話である。
 一方陸軍はどうか。近代戦は武器の質と量によって決せられる。ところが彼らはこの事実を認識せず、高価な武器よりも安い人間に頼った。兵員量のみがキーポイントとしてその数を追い求めた。司馬遼太郎は戦時中、戦車小隊長だったが、大本営参謀の辻政信には戦車の知識はゼロだったという。さらに辻は軍事そのものが分かっていなかったと主張する。いったい辻たちは士官学校で何を学んだのか。
 秀才としてもてはやされた人間も勉強しなければただの人間になる。さらに悪いのは秀才の看板を背負って国を方針を誤らせることだ。

古枯の木-2010年い

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