2010年9月20日月曜日

校長の訓話

校長の訓話

 9月になるとアメリカの学校の新学年が始まる。それにつけても想い出されるのは我が家の子供3人を9月に始めて日本の学校に送ったときのことだ。古枯の木は約10年間アメリカで勤務した後、1976年の夏に帰国した。そして9月には子供たちは日本の学校に入った。彼らは最初の日から授業が始まるものと考えていたが授業はなく始業式があったそうだ。校長が訓話、訓示をたれたが、全く意味不明でありそこにいた子供たちは誰も聞いていなかったという。その夜、食事のときから辛辣な子供たちの日本の教育批判が始まった。式のため一日損したとか、何のために式などをやるのかなどだった。アメリカでは絶対に考えられぬことだとも。さらに子供の頭の中に校長の言ったことの内容は何も残っていないという。
 日本人は学校に限らず式が大好きだ。アメリカでデーラー会議を主催すると出席者の間からいろいろ建設的な意見が出て教えられることが多かった。ところが日本のデーラー会議は優秀デーラーや優秀セールスマンの表彰式が主で、討論のとき出席者は沈黙を守り発言はほとんどなかった。あとは偉い会社幹部の意味のない精神訓話だった。日本社会の後進性、形式主義が教育界はもちろん実業界にまで残っているような気がする。

古枯の木-2010年9月17日

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