2009年1月30日金曜日

アメリカ・ドッキリ物語1
           岡本孝司

アメリカに来て早や35年、この間に日米両国でアメリカ人相手に貴重な体験をいろいろ積み重ねたが中には肝を冷やすことや驚いてドッキリすることも多々あった。数えたらこれらは100を優に越すだろう。その内の10篇をアメリカ・ドッキリ物語として10回にわたり短い文章で紹介してみたい。

他人の食器に手を触れるな

1998年の晩秋、その頃勤務していたオレゴン州セイラム市のキワニスクラブから講演の
依頼を受けた。演題は任意といわれたので、明治末期、和歌山である日本人が村人を津波から救済するため自分の稲むらに火をつけたという犠牲的精神について1時間半余り話をした。小泉八雲の随筆“生き神様”を基礎に構成したものである。アメリカ人はモラルによって動く民族であり、このような話が大好きだ。120人余りの聴衆の反応はよかった。彼らの中には質問してくる人も数人いた。聴衆の反応は講演終了時の聴衆の顔つきを見、彼らの交わす雑談を聞けば大体分かる。ニコニコ顔が多かった。講演の後、ゲストスピーカーとして円形のヘッドテーブルに座らされランチをご馳走になった。ローストビーフのおいしいランチだった。
 
 小生の横に座ったのは金髪碧眼の超美人だった。英語ではこのような目も眩む美人をdazzling beauty という。彼女はまさにdazzling beautyで、クラブの会長夫人だった。着席するや否や彼女は小生の講演が大変印象的であったと言って褒めてくれた。そこまではよかった。だがその後がいけない。彼女が自分のコーヒーカップとソーサーを捜し始めたのだ。彼女の席の前にはそれがなかったためだ。

そこでおせっかいにも小生が遠くにあったカップとソーサーをとり、彼女の前に置いた。彼女は一応“サンキュー”とは言ったが、そのカップとソーサーをウエイターに命じて直ちに撤去させ新しいものを持ってこさせた。一時に冷水を浴びせられたような超ドッキリだった。それまでの講演後の有頂天はどこかに吹っ飛んでしまった。成功したかにみえた講演への感情はこの1事により無残にも打ちのめされてしまった。ローストビーフはたちまち味気のない炭みたいなものに変化してしまった。水だけをたくさん飲んだ記憶がある。

 彼女の真意がいずこにあったのか未だに分からぬ。小生がむさくるしいオリエンタルの男であったためか。本来衛生的であるべき食器を小生が手を触れることによって、非衛生なものになったと彼女が判断したのか。もし白人の美男子が同じ行為をしたとき、彼女はどのような反応を示したであろうか。ゲストスピーカーであることのプライドはこの彼女の驚天動地の行動によりたちまち雲散霧消してしまった。抜きがたい屈辱感のため腰が抜け、食後容易に席を立つことができぬほどだった。

かつて日本では女性の教育といえば行儀、作法のことを意味する時代もあった。日本の銀行の新入社員教育には男子行員も含めて今でも行儀、作法が大きな比重を占めると聞く。アメリカではこんな非生産的なことに時間を割く会社は1社もない。日本では当然テーブルマナーもうるさいだろう。テーブルマナーに関する本の中で、他人の食器に触るなというルールがあるかどうか。

いずれにせよこの1件以来、小生はいかなる場合にも他人の食器には一切手を触れないことにしている。


岡本孝司 歴史愛好家、ロス在住、著書に『日本敗れたり』など。



 

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