2009年1月16日金曜日

ズーニインディアン

ズーニーインディアン
    古枯の木

 2008年5月上旬ニューメキシコ州のZuni Puebloを訪問した。ここはロスから東へ600マイル、海抜6千4百フィートの砂漠のど真ん中にある。人口は11,700人、部外者に対し大変厳しいところでカメラ、ビデオの使用は禁じられ、風景をスケッチしたり町を散歩するにも特別の許可が必要である。聖職者への接近は固く禁じられている。ズーニーは日本人の末裔といわれているが、Visitor Centerで所長この関係について訊ねてところ、ズーニーが日本人と兄弟姉妹の関係にあると信じている者は皆無であろうとのことだった。

 所長によればこの問題を最初に提起したのは人類学者Nancy Davis の著書“The Zuni Enigma-Possible Japanese Connection(2005)” であるとのこと。彼女は平安時代の1350年日本人の大グループが大型船に乗って太平洋(彼女は太平洋をユーモラスにliquid highwayと呼んでいるそうな)を渡りアメリカの西海岸にやって来、そこから660マイルも東に歩いて現在のZuni Pueblo に到着したと説く。彼らは戦争と地震のない土地を探していたらしく、彼女は彼らをJapanese Pilgrims と呼ぶ。その後、土着のインディアンと混血して現在のズーニー族が生まれたと主張する。農耕民族でコーンの栽培を知っており、灌漑の設備まで持っていたそうである。

 Nancy Davis の著書をまだ読んでないが、筆者は次のような極めて素朴な疑問を持つ。まず第一に当時シナ人や日本人の造船技術者は竜骨(keel)の存在を知らなかった。竜骨無しで多人数が乗る大型船の建造が果たして可能であっただろうか。次にZuni Pueblo の中を観光バスや自分の車で廻ったがズーニーが文化的遺産として誇れるものは1629年スペイン人坊主によって建立されたカトリック教会だけだった。かつて平安時代、東大寺、唐招提寺、法隆寺、興福寺などをを建設した偉大な日本人の文化的遺産の痕跡はどこにもなかった。どうもズーニーは他のインディアン同様、文化不毛の土地らしい。最後にNancy Davis はズーニー語と日本語には共通点があり、両者に類似する単語を20語取り取り上げているそうだ。例えば鹿は“shoita “と発音し、日本語のシカに近いと主張する。無理はないだろうか。ズーニー滞在中調査したが両者に共通するような表現は一つも発見できなかった。

 彼女はズーニーの女性は日本人女性同様手先が大変器用で彼女らの作る装身具は素晴らしいという。これは事実だろう。彼女らの作る銀とトルコ石の装身具は日本的に極めて精巧で他の種族、たとえばナバホやホピーの追随を許さず値段も非常に高い。だが手先が器用というだけで日本人の末裔とするのはちょっと無理があろう。ズーニーの産業といえばこれら装身具だけだがこの販売はズーニーが行うのではなくすべてインド人とパキスタン人によって独占されている。

 だが日本人との共通点がまったくないというわけではない。争いや変化を好まず、いつも無抵抗、平和に徹することだ。かつてアパッチーやナバホ族に侵略されたことが何度もあったが、一切抵抗しなかったらしい。ズーニーがその際行ったことは屋内、屋外の灯りを全部消して祈祷師を中心にして静かに祈ることだけだった。そうすることによって、他部族の侵略はいつか終わったという。この点平和憲法の9条さえ守っていれば平和が維持されるという日本人の真情と共通するものがある。

1 件のコメント:

  1. とてもおもしろく興味深く読みました。
    zuni pueblo を訪問したのは日本人と兄弟姉妹の関係があるのか?ということを調べに行ったのですか?1000km も離れた所に行ってみようという好奇心とエネルギーはすごいですね!古枯の木さんは知識の宝庫!学びます!

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