2009年1月14日水曜日

日本は経済大国か
 
                        古枯の木    
 

名前は忘れたが、旧帝国海軍の提督の中に日本海軍を無敵海軍と呼ぶことに反対する人がいた。同様に筆者は日本を経済大国と呼ぶことを好まない。果たして日本は経済大国であったろうかまたはあるだろうか。答えは極めて簡単で日本は経済大国ではなかったし、またないということだ。筆者は長年商売の第一線にいて、日本が経済大国であると思ったことなどは一度もなかった。若干の例外はもちろんあるが、日本の企業は欧米の技術を買ったり盗んだりして、彼らの商品よりも少し安くて少し良いものを世界に大量にばらまくというやり方をとってきた。それが証拠に日本製品には他国製品に比較して優る相対的優位、たとえば外国製品より速いとか、効率が良いとの利点はあるが、他国製品にはなく日本製品のみが持つ絶対的優位などまずない。世界のどこにもない商品を、独自の技術で創造的に生み出すまで経済大国というはおこがましい。

昔アメリカである日本の商品のマーケッティングをしているとき、アメリカ人から同じようなアメリカ製の商品で数年前に製造されたものを見せられて、“またコピーを作ったな”と言われたときは誠に残念ながら片言隻語の反抗もできなかった。せいぜいベターコピーと言うだけだった。

他国のものをまねるのはお互いさまかもしれない。だがそのとき外観をまねるだけでなくその背後にある哲学的なもの、原理、原則をよく研究する必要がある。郷里の町の近くに戦争中大きな軍需工場があった。1942年2月シンガポールを占領したとき、日本軍はたくさんのイギリス製自動小銃を捕獲した。これを郷里の軍需工場にもってきてその模造品を製作しようとした。ところが第1発目の弾は出るが第2発目の弾がどうしても出なかった。敗戦まで自動小銃の製造に成功しなかったが、この軍事“機密”は町の小学生でも知っていた。アメリカに来て武器に詳しいアメリカ人にそのことを話したら、自動小銃では1発目の弾丸の反動を利用して2発目の弾丸を送ると教えてくれた。日本軍は多分この原理、原則まで学ばなかったと思われる。

筆者が日本は経済大国ではないと言ったら、アメリカで登録されるパテントの80%は日本のパテントだと主張し、胸を張って反論する人が多い。確かにそれは真実である。80%は日本のものだ。だがパテントの内容が問題である。アメリカのパテント弁護士に訊いた。(アメリカでは通関とパテントの弁護士は通常の弁護士とは異なるジャンルに属する)アメリカでは普通パテントというと“新規性”“革新性”が要求される。ところが登録される日本のパテントにはこれらがほとんど見られないという。日本のパテントの特色は生産面の改良に関するものがほとんどだそうだ。生産面の改良とはたとえば工程を減少させたり、生産コストを下げることを意味する。さらに日本企業が欧米のパテントを購入することは多いが、日本のパテントが欧米の企業に買われることはまずないとのことだ。日本のパテントを購入するのはアジアの企業に限定されている。また技術貿易収支の面で日本は2002年まで万年赤字だったがアメリカはいつも厖大な黒字を計上している。これは依然として日本が外国の技術に依存していることを示す。

一国の経済上の実力を測るのにパテントの件数などは上述の理由により余り重要ではない。
パテントの件数は多くても、欧米企業が起すパテント侵害(the possible patent infringement)訴訟からいかに逃げるかに日夜苦慮している日本の企業が多い。

アメリカでもたまには日本のことをsuper economic power といって賞賛することがある。だがアメリカ人は本当に日本を経済大国だと考えているだろうか。19世紀末イギリスに有名な新聞記者のブロービッツという男がいた。彼は記者として活躍中多くのスクープをしたが最大のものはスエズ運河をめぐるものである。スエズ運河は1869年に完成したが、彼はエジプト政府の財政破綻を知るや否やこれを新聞紙上に発表せずにイギリスの国益のためにイギリス政府に直接伝えた。かくしてイギリスは1875年スエズ運河の買収に成功したのである。このブロービッツを日露戦争の直後、松方正義が訪問した。当時80才近くになっていたブロービッツは松方に対し、“ヨーロッパ中の新聞は日本がロシアに勝利したといって日本を褒めそやしている。だがそれを喜んではいけない。これはまだ日本が子供扱いにされている証拠だ。イギリス人は相手が本当に偉大だと思ったならそのような賛辞は呈しない。その証拠に誰がイギリス海軍は七つの海を制覇して偉大だといって褒めるだろうか。誰がドイツ陸軍はヨーロッパで最強の陸軍だといって賞賛するであろうか。よって児戯に等しい新聞の論評など真に受けてはならぬ”と述べて松方の注意を喚起した。それはちょうど“あなたは英語がお上手ですね”と言われる間は英語が下手な証拠であるというのに似る。本当に上手な相手に対しそのような賛辞は呈さない。後年松方はブロービッツのこの苦言が彼の旅行の最大の土産だったと述懐している。アメリカに駐在する日本人でなにかと言えばすぐ“日本は経済大国だ”と有頂天に叫ぶ者がいるが、ブロービッツの意見は傾聴に値しよう。アメリカは日本を真のsuper economic power などとは考えていない。これは単なる枕詞に過ぎぬ。

しかしながら技術は借り物でも生産面で日本は素晴らしかった。経済大国ではなかったが生産大国だった。経済大国と生産大国では意味がまったく異なる。日本人には独創性は欠如していたが、ものの生産では断じて抜きん出ていた。少し前まで自動車産業についてよく言われたことがある。アメリカは生産の悪さを技術でカバーしているが日本は技術の低さを生産でカバーしていると。日本は真実生産大国であったし今もそうである。それとともに改良でもダントツであり改良大国であった。

日本が改良大国であったことの歴史的事実を一つ紹介したい。戦前日本のある海軍士官が訪英した。イギリスの海軍士官に案内されて彼の駆逐艦を見学に行ったとき、見慣れぬものを発見した。よく聞くと高圧酸素を動力とする魚雷である。最初フランス海軍が着想したが爆発の危険性が高く放棄した。代わってイギリス海軍もその研究に携わったがやはり爆発の恐れのため放棄せざるをえなかった。わが士官はさらにいろいろ酸素魚雷について聞きただし、帰るとすぐこれを上官に報告した。非常に良いアイデアということで海軍は直ちに研究にとりかかった。苦心惨憺の末、安全な高圧酸素魚雷が発明された。これを93式酸素魚雷という。(皇紀2593年にできたため)これは50ノットの速力で2万メートル以上の射程を有する優秀な魚雷であった。さらに米英のものに比較して2倍以上の破壊力を持つものだった。しかも発射時は普通の酸素を使用するがそのあとは高圧酸素を動力としたため航跡が全然見えず、敵に発見される可能性が低かった。イギリス海軍は第2次大戦の終了まで懸命に努力したがついに酸素魚雷の製造には成功しなかった。日本人の改良能力はすばらしい。余談だが無謀極まりない太平洋戦争なんか始めずにわが民族の誇りであるこの酸素魚雷とゼロ戦(ゼロ式艦上戦闘機、太平洋戦争の初期大いに活躍した。艦上とは艦から飛び立つという意味。海軍ではこのゼロ戦を“レイ戦”と呼んだ)をアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリヤ、中国、中国共産党、ソ連に高価に売りつけていたら日本は未曾有の経済的繁栄を謳歌したものと考える。誠に惜しいことをしたものである。

あるIT関係の会社の社長が、以前アメリカからITに関しいろいろ教えてもらったが、生産方法の改善で今ではアメリカを追い越してしまった。そのためまことに申し訳ないことをしたものだといつも内心忸怩たるものがあると語っているのを聞いたことがある。同じような例が非常に多いと思う。

日本の会社は従来コストを削減し、ものを改良して品質を向上させ、規格品を大量生産することによって、世界市場に進出してきた。だがこれだけでは中国にさえ対抗できなくなるだろう。日本人独自のアイデアによる新商品の開発が目下の急務と考える。だがこれは一朝一夕には成就しない。

日本のように国土が狭小で資源の乏しい国は経済大国たるの第一要件を満たしていない。産業を近代化するための市場、原料を欠き、さらに学問、科学の遅れから技術を欧米に学ばなければならなかった。残念ながら今も欧米が先生である。このような経済的に貧弱な国が欧米の先進資本主義に対等に立ち向かおうとすれば必然的に袋たたきに会う。この点日本の経済外交には常に細心の注意が必要である。軍事大国を自認した帝国陸海軍はその幻想、過信にうつつを抜かし戦争さえも真剣に考えなかった。そもそも一国の軍隊とはその国民の生命、財産を守るために存在するのだがそのようなコンセプトがあっただろうか。1939年5月帝国陸軍はノモンハン事件でジューコフのソ連軍に大敗を喫したが、そのとき次のような俚言がひそかに流行したという。将軍勲章、将校昇進、下士官火遊び、お国のために散るはいつも兵ばかり。このような軍隊がいざ米英とのあいだに戦端を開くと、完膚なきまでに打ちのめされた。アメリカ側の表現によれば日本軍とはcruel amateurs(残忍で戦争の下手な素人集団)でしかなかったそうな。誰が日本を経済大国などと呼んだのか。無責任なマスコミであろう。国民はその煽動に踊らされている。バブルの最盛期、日本円でアメリカ全土を購入するというバカなことが真剣に論じられた。自信をもつことは必要でありよいことだ。だが日本国民はすぐに自信を過信に転化するという悪い癖をもつように思えてならない。

日本は経済大国なんかにはなれないし、ならなくてもいい。要は日本が国際社会におけるポジションをよく理解して己の分を守ればいいのだ。

古枯の木― 歴史愛好家、在米35年以上。著書に『日本敗れたり』『アメリカ意外史』など

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