2009年1月16日金曜日

愛情の表現ー日米の差

愛情の表現―日米の差

                            古枯の木

 昔アメリカでマーケティングの仕事をしていたときエド・ハントというハンサムで気のいい男をナショナル・セールス・マネジャーとして使っていたことがある。アメリカ南部の貧農のせがれでタクシーやバスの運転手をしながら学校を卒業した。西部劇に出てくる正義漢の“いいやつ”がぴったりの男だった。
 このエドは太平洋戦争の勃発とともに志願して米海軍に入り諜報部に配属された。1942年秋、潜水艦とゴムボートで房総半島の一寒村に一人で上陸した。上陸する前に潜水艦の潜望鏡で走る横須賀線の電車を見せられ、この電車の一等車と二等車(現在のグリーン車)の中に米軍のために働く中国人や朝鮮人のスパイが多数乗り込んでいると教えられた。ミッドウエイ作戦の秘密はこの車両からも漏れたと聞いたらしい。房総半島上陸の目的は東京湾を出て行く日本の輸送船を潜水艦に報告することだった。このときエドは通信機器、当面の食料、双眼鏡、手旗、ナイフ、友軍機に連絡するためのミラー、魚を釣るための釣針、釣糸などを与えられた。彼の戦争体験を聞くといつも時間の経つのを忘れたものだ。
 このエドに一人息子がいた。名前はエド・ハント・ジュニアーという。大変な秀才で後に軍関係では一番難関といわれるデンバーの空軍士官学校に入学するが、エドはこの息子が10歳になるとロスから南へ車で3時間のところにあるサンディエゴの学校に突然転校させてしまった。筆者は幼い息子を不憫に思い、転校の理由を訊くと親元を早く離れて一日も早く自主独立の心を涵養させることが肝要であり、これこそが真の親の愛情だという。
 一方日本ではどうだろうか。世の親たちは一日でも長く子供を手元に置いて親に面倒をみさせるのが真の愛情だと考えていないか。これは子供に対する日米の大きな愛情表現の差異である。子供のためにはどちらの方法がベターであろうか。
 でも親が子を思う気持ちは洋の東西を問わず変わりない。エドは毎週末3時間をかけて息子に会いに行っていた。息子に会わぬとその週が暮れぬという。金曜日の夕方はいつもそわそわしていたのを今も鮮明に覚えている。ときには早退させてくれと言って筆者を困らせてこともある。週末はよく息子と遊んでいたらしい。あるとき息子と一緒に海に潜り、たこをたくさん捕ったがどのように料理すべきか教えてくれとわざわざサンディエゴから電話で訊いてきた。またあるとき湖で息子を泳がせていたら、通りがかりの人から湖には毒蛇が多いので泳いではだめだと告げられた。エドは自分の身の安全も考慮せずにズボンと靴をはいたまま湖に飛び込んだ。親が子を思う気持ちは日米間にまったく差異はない。
 房総半島での任務を終えて後任者と交代したとき、エドは浜松の沖合いで潜望鏡を通じて工場の工員たちが夕方遅くまで野球をするのを見て楽しんだ。同僚とどちらが勝つかの賭けもしたそうな。

古枯の木。歴史愛好家、特に日米関係に関心あり。在ロス。著書に『日本敗れたり』など。
 

1 件のコメント:

  1. 楽しく興味深く読みました。10数年前主人が息子を強制的に航空自衛隊に入隊させました。母親の超過保護を心配したせいかもしれません。2年で除隊しましたが息子は誰も頼れないことや体力に自信を持てたこと、どこにでも友達はいることなどたくさんのことを学んだようです。離れて暮らしていても”何とかやって行くだろう”と母は思っています。

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