2009年1月30日金曜日

アメリカドッキリ物語 9

アメリカ・ドッキリ物語 (9)

                  古枯の木

教師に反論する

 わが家の長男は小学校をアメリカで学んだ。あるとき先生の意見に反論したいが。そのためには反論の根拠、理由を3つ上げなければ先生はとりあってくれないと言ってきた。反論の理由を2つまでは発見したが、最後の一つが見つからないのでヘルプしてくれというのだった。先生の意見とまったく別のことを長男は書いたが先生から“A”の評価をもらってきた。先生も自分の意見に反しても、根拠のある反論には充分価値を認めるという度量の大きさに驚くと同時に感服した。先生に反論するという長男の言葉に驚いたが同時にいろいろ考えさられることもあった。

 アメリカでは小学校の3年生から生徒にいろいろの本を読ませ、それをレポートにまとめた後、教室の中で発表させる。小さいときからこのような訓練を積んでくるので自分の意見や根拠を持つ習慣ができ、聴衆の前でのプレゼンテイションが上手になる。よくアメリカ人は口がうまいといわれるが、その理由はこの辺にあろう。

 幼児からの訓練も大いに関係してくるが、もっと重要なことは“個”に絶対的倫理観が根付いていることだと思う。西洋の倫理観には生命と活力に溢れたキリスト教の倫理観に基づくものが多い。日本人にはかかる強力な倫理観が欠如しているため個が未だ確立していない。日本人には子が親に対する、または妻が夫に対する相対的倫理観はあるが絶対的倫理観はない。隣がテレビを買えば自分も買う式に無定見に雪崩を打って傾斜するという欠点がある。このような状態では生徒が先生に反論するなどドダイ無理な話だ。生徒は先生の言うことに従順に従えというのが日本人の一般的感情だろう。これはわが民族の最大欠点の一つだ。この点から日本でも幼児期から倫理教育の必要性を感じる。

古枯の木―ロス在住35年、著書に『アメリカ意外史』『ゴールドラッシュ物語』など)

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