2009年1月15日木曜日

マイクホンダ議員の対日非難に思う

マイク・ホンダ議員の対日非難に思う
             古枯の木
 
 本年6月、米下院外交委員会で第2次大戦中の従軍慰安婦に関する対日謝罪要求決議案が賛成39、反対2で可決され、さらに7月末、下院本会議で採択された。これを提起したマイク・ホンダ議員は日系の3世で、本名はマイケル・マコト・ホンダ、1941年生まれ。北カリフォルニアのIT大都市サンノゼの西に位置するクペルティノ(Cupertino)選挙区選出の民主党議員で、中国人や朝鮮人の抗日団体と深い繋がりがあり、彼らから政治献金を受けている。日本企業相手に戦時中の損害賠償を提起したり、カリフォルニア州議会議員のとき30万人が虐殺されたという南京事件の提訴もしている。彼には日本非難、断罪がその政治生命になっているらしい。

 いまさらなぜアメリカの国政の場での対日バッシングか。ホンダ決議案に対し日本政府はなんら有効な反論をなさなかった。極めて重要な外交問題を黙視したかの感がある。ただ一つの救いは桜井よしこ氏ら憂国の士が6月14日付けのワシントン・ポスト紙に慰安婦に対する意見広告を出したことだ。その広告の中で桜井氏らはホンダ議員は事実を意図的に歪曲して日本に不名誉な汚辱を与えたと述べると同時に日本政府による慰安婦強制連行の事実は存在しなかったことを明言している。

 過去の歴史的事実に対し共通の認識をもつことの重要性がいつも中国、韓国から提起されている。だがそれは言うは易すいが、実現不可能の代物である。第一に歴史的事実の客観性を発見することは至難の業だし、たとえ発見できても事実の解釈がいつも価値観の異なる当事者により大きく分かれるからである。

 学問の目的はRealityの追求であり、慰安婦問題についてもRealityは追求されなければならないだろう。だがこれとは別にホンダ議員の悪意ある決議案について何をなすべきであるか。それについて思い出すのは本年1月末、オスマントルコ時代のアルメニア人の虐殺非難決議案がアメリカ議会で浮上した時のことである。アルメニアはトルコの東に位置するキリスト教国で第1次大戦後の1920年9月、セーブル条約によりトルコからの分離、独立が承認されたが実際に独立したのは1991年である。第1次大戦中、同じキリスト教国のロシアに味方し、多くの青年がロシア軍に参加しさらにトルコに対しゲリラ戦を展開した。戦時中、アルメニア人のシリア方面への強制移住により20-200万人が虐殺されたらしいが、これに対しトルコ政府は謝罪を一切拒否している。理由は戦時下の特殊事情、最前線の混乱それに移住に関し国家は一切命令を出していないということである。

 アメリカ議会のトルコ非難決議案に対し、トルコのエルドアン首相は外相で経済学博士のギュルをワシントンに派遣して強く抗議させるとともに、もし決議案が成立すればトルコ領内の米軍基地を閉鎖し、米軍機のトルコ上空の飛行を禁止すると宣言させた。いつもアメリカのいうことに唯々諾々服従し、ホンダ決議案にも反ぱくしなかった日本政府といい比較対照をなす。筆者はトルコ政府から学ぶべきものがたくさんあると確信する。

 敗戦後、日本がロシア、中国、韓国、北朝鮮からの侵略を受けずに国内の安寧、平和を維持できたのは平和憲法のためではない。アメリカ軍のプレゼンスのためだ。日本政府がアメリカに対してトルコのように強い態度に出られないのはいかなる理由によるだろうか。国の安全と平和を守ってもらっているという負い目、引け目のためか。または東洋的な遠慮、謙譲の美徳によるのか。

 だが遠慮や謙譲の美徳などは国際社会では通用しない。外交はよく酒に例えられる。中国外交は“芳醇な老酒”といわれる。これに対し日本外交は混ざり気のない純粋な“灘の生一本”だそうだ。これをよく解釈するならば正直、一本木、誠実、くそ真面目、悪く解釈すれば単純、幼稚、無邪気、拙劣ということであろう。明治の開国以来、わが外交には外交の戦略性が希薄のように思われる。また怜悧な老獪さも感じられない。慰安婦の対日非難決議案採択のため、日本はテロ特措法を延長しないと宣言してアメリカ驚かせ、ホンダ議員を窮地に陥れたらどうか。外交にはこれぐらいの駆け引きは必要だ。敗戦以来、日本はアメリカのミリタリ・コロニー(military colony)となり、政治的には対米隷属性(political dependency)から脱しきれていない。安倍首相は職を賭してもインド洋での給油を継続すると言っているがお人好しのその政治感覚を疑う。反対に不継続を声明することによって日本はアメリカの尊敬を受け、相互の理解は深まり、日本はその政治的尊厳性を回復することができるのである。

 1939年9月第2次世界大戦がヨーロッパで勃発した。これは日本にとり日中戦争から有利に足を洗うべき千載一遇のチャンスだったが、当時の無為無能の阿部信行内閣はこれを無視した。その結果太平洋戦争への突入に至るのである。筆者は阿部内閣は日本の近代史上もっとも凡庸な内閣の一つであったと思う。安倍晋三さんが第2の凡庸アベ内閣にならぬよう強く望む次第である。


(古枯の木、歴史愛好家、在米35年、著書に『アメリカ意外史』『ゴールドラッシュ物語』など)

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