2009年1月14日水曜日

アメリカ人の浪費癖

アメリカ人の浪費癖
古枯の木

アメリカ人は今も昔も借金漬けである。デパートのキャシアーやホテルのチェックアウトで支払者が何枚ものクレディットカードを出して拒否されている光景をよく目にする。また給与の支払が一日遅れると破産してしまう個人が多い。給料日になると終業時のベルの鳴るのを待ってチェックをもらい、そのまま銀行に走る者がいる。少し金があるとレストランで豪華に食事し、ムダと思われるようなものをセッセト衝動買いしている。9月18日アメリカの中央銀行が金利の引き下げを断行したが、街の声は「これでもっとカードで買い物ができるからうれしい」ということだった。貸家を多く持つ人から聞いたが、借家人として理想的な者はアメリカ人と台湾人とのことである。彼らは外食が好きで家では余り料理をせず、従って台所を汚くしないからである。

クレディットカードにはすべて信用限度がある。これを英語で“Line of Credit“という。このLine of Credit の高いのと、カードの枚数の多いのを誇りとするアメリカ人がいる。筆者があるときこの信用限度の引き下げをクレディットカード会社に依頼したことがある。理由はカードをめぐる詐欺事件(アメリカではこれは一般的に”Identity Theft“といわれ、手口はますます巧妙になっている)に巻き込まれたとき、信用限度の低い方がより安全だと判断したからである。そのときアメリカ人の担当者は、「すべてのアメリカ人はいつも信用限度の引き上げを望むのに、なぜお前は引き下げを希望するのか」と不審に思って何度も訊いた。
 
 アメリカ人の浪費癖はものすごい。所得から税金などを差し引いた可処分所得のうち消費せずに貯蓄に回す割合は2001年以来マイナスである。最近可処分所得に対する負債の割合は1.27%といわれている。これは端的に言えば収入以上に消費していることを表す。その不足分をいかに埋めるのか。それはアメリカ人がプラスティック・マニーと呼ぶクレディットカードによってである。アメリカ人の平均負債残高は2-3年前で7,000ドルと言われていた。このまま事態が推移すると元利の返済に28年もかかるそうである。この悲痛な苦しみをアメリカ人は自嘲的に“credit card woe”と呼んでいる。

 筆者は若いときいつも父親から「現在の生活は現在の収入に依存してはならない、過去の収入に頼るべし」と教えられてきた。ところがアメリカ人は現在の生活を現在の収入ではなくて将来のしかも不確定な収入に依存している。これは大変危険なこと。会社の都合によりレイオフされたらどうするのか。彼らの金銭感覚はまるで宵越しの金は持たぬかまたは持てぬかであろう。年間200万件以上の個人破産があるとされている。

 だがクレディットカードによりアメリカ人の信用が拡大されたことがアメリカ経済の発展に大きく寄与したことも事実である。そのためアメリカはいつもクレディットカード・ネイションと呼ばれている。多くの日本人が貯めるだけ貯めて、金利生活を渇望するようになったら日本経済は衰退してしまう。余談ながら日本が発展するためには平和な国であることは絶対に必要だが同時に資源の無い日本は絶対に休息の国になってはならない。

 最近アメリカではサブプライム・ローン(低所得者に対する住宅ローン)が大きな社会問題になってきた。半年ぐらい前まで多くの金融機関が“100 Percent Financing”と宣伝していた。これは頭金がなくても家が買えるということである。そのため金も信用も担保もない者たちが将来の値上がりを夢想して先を争って家を買った。これは将来の不確定なものに期待しての一種の浪費である。

 個人だけでなく国家の浪費癖もものすごい。国際収支に関する限り、1981年にアメリカは1,400億ドルの純資産を持っていた。これは史上最高の記録である。ところが1985年、アメリカは債務国に’転落し、以後毎年赤字をたれ流しに流している。アメリカはつとに自国内での生産活動を放棄し、海外からの輸入に依存している。輸入されたもののためにドイツ、日本、最近は中国から国債と交換にドルを借りこれで輸入代金の決済をしているのが実情である。いつの時代でも戦争は大消耗を伴う。アメリカはイラク戦争ですでに3,000億ドルを費消した。中国からのドルが入らないとアメリカはイラク戦争を継続できないとさえ言われている。

 日本も偉そうなことは言えぬ。小泉純一郎が総理になるまで自民党の影武者たちは弱い総理を擁立してこれを自由に操り、票田のために金のばら撒き(この日本政治の特徴をアメリカ人は常識的に知っており、金のばら撒きを軽蔑的に“free spending”と英訳している)を無定見、無思慮にも行った。福田康夫さんが弱くて凡庸な総理でないことを衷心から希望する。今までの浪費のため国の借金は一人当たり655万円にも達してしまった。この浪費に誰が責任を負うべきか。またこの借金の返済にこれから何年かかるだろうか。

(古枯の木 ロス在住の歴史愛好家、在米歴35年、著書に『アメリカ意外史』『ゴールドラッシュ物語』など。本年5月トルコ旅行の後、6月にロスの近現代史研究会で「トルコ歴史紀行―アタチュルクを中心にして」と題して講演を行った)

 


 

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